20171121

「男尊女子」―女性にも見られる「男が上で女が下」という意識

本屋さんにふらっと寄ったら、こんな本が視界に飛び込んできた。

男尊女子
男尊女子』。「男尊女卑」の考えは女性の側にも染み付いているのではないかと、酒井順子さんが考察したエッセイだった。

日本には「男が上で女が下」という意識が染みわたっている。私自身、かつて男尊女卑の側に溶け込んでいたころは全然気にならなかったけど、視点が変わるきっかけがあって気がつくようになったら毎日のように気がつく。自然な食べ物を食べるようになったら、化学物質の味がわかるようになったのと似ている。少し生きづらくはなったけど、自分の感性や能力を高めるため、また、構造的暴力(定義)に加担しないようにするためには重要な気付きだったと思う。

この本では、男女差別の意識を持っているのは、男性だけではないということを指摘していた。男性は、女性のほうが劣っていると考えることで、女性をバカにしたり、下僕のように扱ったり、欲望のはけ口にしたり、虐げたり、見下したり、威張ったり、機会を平等に与えなかったりするので、男性の持つ男尊女卑の意識はわかりやすい。一見被害者のように見える女性だが、男尊女卑の意識を持つ女性は結構多い。

「男尊女子」の例として、仕事を持っていて、一人で生活していける以上の収入を得ている女性が、結婚した途端に、結婚相手を「主人が~」と言い出すことが挙げられていた。「主人」というのは、奴隷や使用人が、生活の保証と引き換えに仕えている(またはまともな生活さえさせてもらってはいないが強制的に仕えさせられている)マスターを指す言葉だろう。経済的基盤を夫に頼っているわけでもないのに、「主人が」と言って、自分が夫に従属しているかのように語るのは自虐的な感じがする。

著者の酒井さんは、こうした女性が夫のことを「主人」と呼ぶときには、夫は「主人」と呼んでも差し支えのない、収入が多く地位の高い男である、というアピールのようだと指摘していて、「なるほど」と思った。女性はたいてい幼少期から、なるべく「いい男」を引きつけるために、美しくあるように、かわいくあるように、愚かであるように、奨励される。「いい男」というのは、収入が多く、地位が高く、できれば性格もよく、結婚したら一生楽をして暮らせるような男性のことを言うのだろう。

「主人」と呼んでも差し支えのない男性と結婚できたのは自分に魅力があるからだ、という一種の自慢のような感情が、そこには隠れているようだ。私はこういうのは昔から嫌いだった。美を磨くのは自分のためにしたかった。一生養ってもらう男に媚びるために美しくあるように努力するなんて、身売りみたいだ。賢いと可愛げがないから知性を放棄するなんていうのもまっぴらごめんだ。

女性は成長するまでは父という男性に養われ、成長してからは夫の家に入り、養ってもらうかわりに「主人」に尽くすべきという考えは、「いつの封建時代?」と時代錯誤も甚だしく思えるのだが、日本では今でもこうした考えが根強い。

「(商品など)がお嫁に行きました」。日本語では、こういう言葉が日常的に使われている。物と女性が同じ扱い。女性は男性の家に差し出されるのが標準という感覚が、根底にある表現だと思う。女性に対する差別を解消することが解決の一助になる問題に取り組んでいたり、そうした問題に関心があったりする女性でさえも、こういう表現を使うのを聞くと悲しくなる。

私が女性だというだけで男性はあからさまにバカにした態度をとる人が多いので、男性の場合は、私が会っても大丈夫な人かどうか、なるべく相方(男)にスクリーニングしてもらってから会うようにしている。女性なら大丈夫だろうと思っていたが、「男尊女子」に会う確率はかなり高い。

本で挙げられていた例の女性のように、勝手に自分の夫を「主人」と言って喜んでいる分には他者に直接的な害はないが(男女平等の実現には多少悪影響があるだろうが)、他者にもそれを当てはめてくる人には閉口する。

相方と2人でいるときに、相方だけに名前を聞いて、私には聞かない女性も多いし、こちらから名乗っても全く聞く気がない女性もいる。相方と知り合いの女性が初めて私を見たときにも「あら、奥さん?」(=Is she your housewife? / Are you his housewife?)とだけ聞かれ、相方は「ご主人」(=master)、私は「奥さん」で話が進められる。男女平等主義の相方も困った表情をしている。私を相方の付属物として扱う人とは名前で呼び合うような親しいつきあいになることはないだろうし、いちいち説明するのもわずらわしいので、「ハイ」で済まして、しばしの間、我慢する。

こういった女性は相方には「お仕事は?」と決まって尋ねるが、私には仕事のことは一切尋ねない。聞かれてもいないのに私から仕事のことを言うのも変なので、相方が私の仕事を説明してくれることもあるが、私の仕事は趣味レベルだとか補助的なものくらいにしか捉えていないのが態度でよくわかる。

仕事のことは相方にしか訊かないのに、私だけ訊かれることが多い問いがある。「お子さんは?」という質問。そもそも、初対面で子どもの有無を訊くこと自体、デリカシーに欠ける。いないと答えると、「ダメな女」とでも言いたげな目線や、哀れみの眼差しを感じることも多い。子どもを産んで育てることにプライドを感じている女性も多いようだ。

家事についても、女がやるのが当然だという態度の女性が大半だ。相方は男女差別の意識が全くない人なので、私が女だから家事をするべきという考えは全くない。うちでは今、料理や洗濯、掃除はいつも相方と一緒にやっている。もっと細かく分割した作業(料理であれば切る、炒める、様子を見る、洗うなど)を分担して一緒にやる。…と言うと、私が相方を「尻に敷いている」と非難する人が少なからずいるが、どうして自分の生命維持のための仕事を平等に共同作業で(しかもおもろく)やっているだけで、私のほうが相方に負担を強いていることになるのか。私が女だから、という理由以外にないだろう。

どちらも苗字を変えたくないこともあり(ほかにも理由はいろいろあるけれど)、相方と私は自然界では夫婦と呼べるだろうが、日本の法律上の夫婦ではない。籍を入れていない話になると、たいてい「なんで!?」と信じられないといった感じになる。どちらも苗字を変えたくない、と言うと、まず私が責められる。女性が苗字を変えるのが当然、という意識を多くの人が持っている。相方が苗字を変えないのは当たり前で、私が苗字を変えないのは罪だというのはどういう道理なのだろう。

「男尊女子」は苦手だ。鵜呑みにしている社会通念に私が当てはまらないからといって、私のことも押し込めようとする圧力を感じるからだ。女性についても相方にスクリーニングしてもらうようになった。

おそらく、そうした女性たちは、潜在意識のレベルでは、女性だからといって自分の生き方を外部から決められていることに不満を抱えているのだろう。それでも従っているから、男女平等を謳歌して自分を自由に生きる女性を見ると、「自分はこんなに我慢しているのに」とか「同じ目にあわせたい」とか思うのかもしれない。相方を「主人」と呼ぶことで、「お前も下僕の身分だ、女だからな」と思い知らせたいのかもしれない。

家事や子育て、美しくあることなど、女性だからという理由で押し付けられている義務のようなものもあるが、女性だからという理由で免除されている責任もある。一家の代表として何か責任を取ることや、経済的に必ず自立しなければならない、といったこと。もしかしたら、そうした責任を持って生きている女性を見ると、自分にもいずれその責任を負わされるときが来るかもしれないと脅威を感じるのかもしれない。だが、この責任を負うことで得られる自由は尊いものだ。責任を負うことを免れるかわりに自由も放棄するという生き方もあるだろうが、責任と負うかわりに自由を獲得する生き方もあるのだから、双方を認めることがどうしてできないのだろう。

いずれにしても、自分の生き方を正当化できる理由が一部でも崩されそうになる、正当化できる理由に合わない事例が出てくる、それが怖いのだろう。だから、「男性のように」知性や能力を発揮し、経済的に自立し、子を産むことを義務ととらえず、男に媚びるような美を追い求めず、自分を自由に生きる女性に対して、攻撃性を見せる。本当に自分の生き方が自分に合っていて満足しているなら、正当化するための理由なんていらないはずだ。

そうじゃないから、理由がほしくて、その理由が崩されそうになると防御しようとして、当てはまらない事例を持つ相手を潰そうとしたり、社会通念に染まるように仕向けようとしたりするのだろう。満足していないなら、自分の生き方を変えればいい。相手を変えようと攻撃するよりもずっと簡単で生産的だ。相手を攻撃したら、一時的にはすっとするのかもしれないけど、それによって少しガス抜きをしたストレス源自体はなくなっていない。自分の現状を変えるのは短期的にはちょっと大変なことがあっても、長期的に見たら満足いく人生をつくっていく過程なのだから、幸福度が高まるのではないだろうか。

「男尊女子」に必要なのは、自分で幸福な人生をつくるために情報を集めたり、考えたり、行動したり、協力したりすることを通じて自尊心を高めることだと私は思う。すでにその努力を始めているだれかを攻撃しても自尊心が高まることはなく、むしろ不満の原因となっている男尊女卑を長引かせるのに貢献し、自分で自分の首を締めることになるのではないだろうか。

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