20160611

ナオミ・クラインさんの記事『今そこにある明白な危機』(世界2015.12)を読んで。

岩波書店の月刊誌『世界』2015年12月号[雑誌]より。

ショック・ドクトリン』(*)で有名なカナダ生まれのジャーナリスト、ナオミ・クラインさんが、気候変動について書かれていました。この記事は、2016年秋に日本語版が出る予定(岩波書店から)の"This Changes Everything: Capitalism vs. the Climate"(下記)の序章の一部を抜粋して翻訳した記事だそうです。

This Changes Everything: Capitalism vs. the Climate

記事は、異常な暑さのために飛行機が飛ばなくなったシーンから始まります。化石燃料を使いすぎたせいで、気候変動が起こり、そのために異常気象が引き起こされて、化石燃料を使う飛行機が飛ばなくなったというのに、それでもなお、化石燃料を使って飛行機で移動しようとしているという皮肉。そして、飛行機が飛ばなかったことを伝えるニュースは、原因が気候変動であること、化石燃料を使いすぎたことが原因であることには言及しなかった、という状況が描かれています。

化石燃料を使いすぎたせいで、異常気象が起こり、化石燃料を使うことすらできない状況になっているのに、それでもまだ、現実から目を背け、化石燃料を使い続けて、現代の"便利な"暮らしを続けようとしている人間たち。これと同じような状況に、地球上のだれもがいるのではないかと警鐘を鳴らされています。

危機が訪れていることは明白であり、その原因は明らかであるにもかかわらず、目を閉ざし、頻度と程度は異なれど、だれもが健忘症を貫いている。健忘症にもいろいろあります。

ドナルド・トランプ氏のように、冬があるんだから、気候変動なんかでたらめだと、気候変動そのものを否定する人たち。一瞬目を向けはするが、「また地球最後の日が来るらしいよ!」のような冗談にして笑い飛ばしてしまう人たち。人類の英知を結集しさえすれば、この危機を乗り越えられる画期的な技術(炭素をすべて吸収して地中に埋めるとか)が生まれるはずだと言い聞かせる人たち。気候変動で水没しようが、カネさえあればなんとかなると考える人たち。

自分も含め、陥りがちなのが、以下だと思いました。
あるいは目を向けはするが、すべては自分自身からだと自分に言い聞かせ、瞑想をしたり、ファーマーズマーケットで野菜や果物を生産者から直接買ったり、車の運転をやめたりする―しかし、危機を不可避にしているシステムそのものを変えようとはしないなぜならばそこには「悪いエネルギー」(筆者注:スピリチュアル系の人たちが言うところの負のエネルギー、ネガティブな力、闇の勢力のようなものと思われる)が満ちていて、そんなことをしてもうまく行くはずがないから、と。実際、このようにライフスタイルを変えることは、解決の一部にはなるため、一見、問題に目を向けているように思えるかもしれない。だが、片目は固くつぶったままなのだ。(p. 66)
「だが、片目は固くつぶったままなのだ」に、そうです、そのとおりです、ごめんなさい…と思いました。

自分一人の暮らしを変えることにも意味はあります。チリも積もれば山となるです。でも、私が一人、電化製品をなるべく使わない暮らしをし、車に乗らず、地産地消(遠くから食べ物を輸送してくれば輸送の際に化石燃料を大量に使う)を心がけていても、その間に、もっと大きなシステム―危機を不可避にしているシステムそのもの―は、どんどんどんどん化石燃料を使っています。それをいい方向に変えなければ、気候変動の危機が大きくなりすぎるのを止めるのには間に合わないことは明白です。

一例を挙げると、戦争は最大の環境破壊です。気候変動においてもそうです。
私がコンビニで「そのレジ袋要りません」と断っている頭の上を、F15戦闘機が全速力で飛んでいったとします。F15戦闘機が8時間全速力で飛び続けたなら、日本人一人がオギャーと生まれて死ぬまでの二酸化炭素を排出します。つまり軍備が排出する二酸化炭素の量は桁違いなのです。これを止めずに助 かることはありえません。(田中優さんの講演録より
私はこの話を、去年、愛媛県の松山市で開かれた「ライブアースまつやま」で、田中優さんが講演されていて聞きました。エコロジーを訴える人は、絶対にピースも一緒に創っていかないとダメなんだと思いました。

環境に負荷の少ない暮らし、循環する暮らし、サステナブルな暮らしを、自分のレベルでつくっていくことは気持ちのいいことです。ヨガや瞑想をしたり、スピリチュルの勉強をしたりして、平和をつくるにはまずは自分の心が平和にならなければと、努力をすることもとても気持ちのいいことです。だから、ついつい、そっちばかりになってしまいがちです。それも意味のあることだし、大事なことだとは思いますが、そっちばかりになってしまうというのが問題だと思います。片目はつぶったまま、だからです。

ちょっとがんばらなければいけないけれど、もっと大きな、自分が今いる世界の仕組みにアプローチしていかないことには、根本的な解決にはなりません。政治や経済などの社会の大きなシステムを変えることも、模索していかないといけないな、と改めて思いました。身の回りの小さな気持ちいい世界だけでなくて、社会の動きにきちんと目を向けていくことも大事だと。

地球全体が危機に瀕している今、地球の健全さを取り戻すために、やるべきことはすべてやっていったほうが絶対にいいに決まっています。地球はこんな状態になっていても、私にたくさんの恵みをもたらしてくれます。野草も野菜も果物も穀物も与えてくれるし、微生物たちや虫たち、動物たちは生態系を健全に保っていて、空気も水も与えてくれる。自分だけが気持ちよいだけではダメだな、多少たいへんでも、地球に恩返しできるような努力もしていかないとダメだな、と思いました。地球さんは何も文句を言わないけれど。

*ナオミ・クラインさんの本

ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く

ショック・ドクトリン〈下〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く