畑で虫や草花の観察をするのは
世の中の学びの時間です。
どの生き物も草花も
取り過ぎることなく、与えすぎることなく、
みんなそれぞれ自分が生きるためのことをやり、
それがほかの生き物のためになって
世界がまわっています。
虫の世界には、
稼ぎが大きいからエライとか、
小さいからバカにされるとか、
グループのなかで指揮を取るから上だとか、
与えられた役割を果たしているだけだから下だとか、
そういう価値観が存在していないように思えます。
仕事を出すほうがえらいとか、
雇われてるから従わないといけないとか、
リーダーだから役割が上になったとか、
専門家じゃないから言っちゃいけないとか、
そういう考え方は、人間の世界だけなんだと気がつきます。
私は人間だから、人間の世界の“常識”には
ある程度則って生きて行かなければなりませんが、
必ずしもそれが絶対ではないと知るとほっとします。
人間のこの世界でも、
そういう価値観を持っていない人にときどき出会います。
「誰もがリーダーだったらこの世界はバラバラになってしまうよ」
と言う芸術家。
「縫ってくれる人がいるからこそ、
パターンを引いてくれる人がいるからこそ、
私たちの作品を応援してくれる人がいるからこそ、
創作が続けられる」と言うデザイナー。
「苦手なことをがんばらなくても得意な人がやったらいい。
それぞれの役割があるんだから」という起業家。
上も下もない。優も劣もない。
それぞれがそれぞれの好きなしごと(*)、
生きることに通じるしごとで輝いて、
お互いに尊敬しあいながら、
持ちつ持たれつの感謝の気持ちを忘れずに
生きていける世の中になったらいいなぁ。
畑の生き物たちを見てそんな願いを持ちました。
*しごととは、お金を稼ぐことに限らず、
人のために、自分が生きていくためにする活動
すべてのことを指しています。
20130710
電力を市民の手に
電力を100%市民が自給しているデンマークのサムソ島と、電力の自給に向けて動き出している
オランダのテセル島の例を紹介しながら、巨大な電力会社から電気を買うのではなく、市民電力会社の創設や発電設備への共同出資などにより、発電と送電を市民が手にすることによって電力の民主化が進むと、人々の意識と社会がどう変わっていくのかを捉えたドキュメンタリー映画でした。
デンマークのサムソ島では、島が経済的にピンチを迎え、抜本的な改革を求められたのをきっかけに、再生可能エネルギーへの移行が市民の手によって一気に進んだそうです。
今では、市民が電力を発電して使うので、電気代はかからず、電力が余ったらデンマーク本島に売るので島の経済が潤い、二酸化炭素排出量も大幅に削減されています。ピンチをチャンスに変えたのは、島の人々の絆と想いでした。
一方、オランダは電力の民主化に関して、日本よりも少しだけ先を行っているという状況で、抱えている問題にも共通のものがあり、今日本はどう変わっていくべきなのか、今自分にできることは何か、より具体的に思い描くことができました。
政府や経済界が動くのを待っていては手遅れになる、市民が自ら動き出すべきなのだ、というメッセージが心に響きました。
映画に登場する人々はみんな私と同じ普通の人々です。市民電力会社を中心になって立ち上げた人たちも、配管工であったり、農家であったり、と電気や経営について特別なバックグラウンドを持っているわけではありません。
地域を良くしたいという想いひとつで、自ら動き始め、地域の人たちと絆を強めて、仕組みを作り上げていました。
地域の人々も一度ソーラーパネルを設置すると、節電はゲーム感覚になり、楽しんでいる姿を見て、まだ設置していない人々も関心を持つという好循環も生まれています。
電力の民主化が可能だということが目に見えてわかると、システムが大きくなりすぎて中身がわからなくなっているほかのことでも、市民が主導権を握って変えていけるのではないか、という意識が人々の中に芽生え、自営業者の共済を市民が立ち上げる例なども出てきました。
パワー(=電力)を市民が手にすると、社会をよい方向に変えていくパワー(=力)を市民が持つようになり、団結力や助け合い、経済力など、地域のパワーにもなる。とても勇気づけられる映画でした。
映画に登場するオランダの環境活動家マーヤン・ミネスマさんは、エネルギー価格は上昇を続け、家賃よりも高くなると語っていました。
同じく映画に出演するジェレミー・リフキンさんもエネルギー価格の高騰は、産業においても生産コストの上昇につながり、再生可能エネルギーによって電力自給を進めることは産業においてもコストの大幅な削減につながると話していました。
また、今5歳の子どもが90歳になるころには、地球上の生き物の約7割が消滅すると言います。
人も無数の生き物の営みの中にあります。その生き物たちが7割もいなくなったら、人の暮らしはどうなっているのだろうか、考えただけでぞっとしました。
信頼と協力に基づいた、持続可能なコミュニティ。
日本でも近い将来、それが当たり前になっているのかもしれません。そうなることが、人間が住み続けられる環境を守ること、そして持続可能な経済の循環のカギになると思いました。
お金も度胸もまだない私には、できることは限られていますが、どんな小さなことでもいいからできることを楽しく続けて、持続可能なコミュニティを作る力に少しでもなれたらと思いました。
20130702
1本の電話
週2回お手伝いに行っている会社に入った1本の電話。
90歳の女性からだった。聡明で凛として素敵な人だった。
内容は、日本国憲法に関する本の提案だった。
それを提案する理由を実体験に基いて話してくださり、
憲法をもっと多くの人にじっくり考えてみてほしい
という思いからではないかと推察した。
女性は戦争で経験したことを、
今でも昨日のことのように覚えていると話してくれた。
結婚していれば疎開が許されたが、自分は結婚していなかったから、
戦争の勤労要員とするために東京から逃げさせてもらえなかったこと。
(当時、14~25歳の未婚女性は挺身隊として軍需工場などで働かされていたそう)
東京大空襲のときに戦火から逃れようと
隅田川に飛び込んだ人々の防空頭巾が、
空襲の翌朝にプカプカと浮いていたという。
味噌汁のシジミがその様子に似ていて
あの映像が蘇ってつらくなると言って、
女性の夫がシジミを食べられなくなったこと。
女性の夫は目が悪かったから飛行機に乗らないで済んだけれど、
目が良かった友人たちはみんな飛行隊になって、たくさん亡くなったこと。
戦争の体験を直接聞くのは初めてだった。
女性は憲法を変えてはいけないとも、
戦争をもう繰り返してはいけないとも、
自分の意見は一言も言わず、
つらかったであろう体験を
つらさも出さずに淡々と冷静に語ってくれた。
戦後、政府関連機関で外国の新聞をチェックして、
報告をする仕事に就き、その後も政府関連の通訳をしていたそうで、
当時受けたカルチャーショックの話も聞かせてくださった。
戦勝国のイギリスで、戦後初めての選挙の結果が、
これからは社会福祉の時代という結果になったことに
さすがは民主主義の国だと思ったこと。
欧米では女性に参政権があることにも驚いていた当時、
24歳になった年に初めて、女性の選挙権が認められて、
心からうれしかったこと。
他国の英語母語話者でない人々が、
英語が下手でも関係なく、
自分の意見を一生懸命伝えようとする姿に
下手でもなんでもいいから、
伝えること、聞くこと、その繰り返しが
お互いの理解につながるということを知ったときの感銘。
女性の話は、どれも心に響いてきて、
会社の人たちにもメールで少し伝えさせてもらった。
反響があってとてもうれしかった。そして、教えてもらったのがこの記事。
Book asahi .com「日本国憲法、コンビニに並ぶ 異色のベストセラー」
編集者の島本脩二さんの想いにまた胸が熱くなった。
女性からの1本の電話。
ただの偶然ではないような気がした。
90歳の女性からだった。聡明で凛として素敵な人だった。
内容は、日本国憲法に関する本の提案だった。
それを提案する理由を実体験に基いて話してくださり、
憲法をもっと多くの人にじっくり考えてみてほしい
という思いからではないかと推察した。
女性は戦争で経験したことを、
今でも昨日のことのように覚えていると話してくれた。
結婚していれば疎開が許されたが、自分は結婚していなかったから、
戦争の勤労要員とするために東京から逃げさせてもらえなかったこと。
(当時、14~25歳の未婚女性は挺身隊として軍需工場などで働かされていたそう)
東京大空襲のときに戦火から逃れようと
隅田川に飛び込んだ人々の防空頭巾が、
空襲の翌朝にプカプカと浮いていたという。
味噌汁のシジミがその様子に似ていて
あの映像が蘇ってつらくなると言って、
女性の夫がシジミを食べられなくなったこと。
女性の夫は目が悪かったから飛行機に乗らないで済んだけれど、
目が良かった友人たちはみんな飛行隊になって、たくさん亡くなったこと。
戦争の体験を直接聞くのは初めてだった。
女性は憲法を変えてはいけないとも、
戦争をもう繰り返してはいけないとも、
自分の意見は一言も言わず、
つらかったであろう体験を
つらさも出さずに淡々と冷静に語ってくれた。
戦後、政府関連機関で外国の新聞をチェックして、
報告をする仕事に就き、その後も政府関連の通訳をしていたそうで、
当時受けたカルチャーショックの話も聞かせてくださった。
戦勝国のイギリスで、戦後初めての選挙の結果が、
これからは社会福祉の時代という結果になったことに
さすがは民主主義の国だと思ったこと。
欧米では女性に参政権があることにも驚いていた当時、
24歳になった年に初めて、女性の選挙権が認められて、
心からうれしかったこと。
他国の英語母語話者でない人々が、
英語が下手でも関係なく、
自分の意見を一生懸命伝えようとする姿に
下手でもなんでもいいから、
伝えること、聞くこと、その繰り返しが
お互いの理解につながるということを知ったときの感銘。
女性の話は、どれも心に響いてきて、
会社の人たちにもメールで少し伝えさせてもらった。
反響があってとてもうれしかった。そして、教えてもらったのがこの記事。
Book asahi .com「日本国憲法、コンビニに並ぶ 異色のベストセラー」
編集者の島本脩二さんの想いにまた胸が熱くなった。
女性からの1本の電話。
ただの偶然ではないような気がした。
20130511
福島の子どもたちと遊んで
福島県二本松市に住んでいる親御さんから、
「県外保養は、子どもたちだけでなく、親たちにとっても心の保養になっています。
全国の人々が福島の子どもたちを守ろうとしてくれているんだ、
自分たちは見捨てられているわけではないんだ、と思えるから」
というお話をうかがい、何かしたいという思いが強くなっていました。
何かしたいと思っても、一部屋の借り家住まいでは、
個人的に家に受け入れることは難しいし、
ほかに何かできることないかなぁ、と思っていたちょうどそのときに、
キッズデイ・ウィークエンドのボランティア募集のお知らせが
Facebookで流れてきたのでした。
本格的なボランティア活動は初めてで、
ちょっと勇気がいりましたが、
やってみてわかることが本当にたくさんあって、
一歩踏み出す後押しをしてくれた、
あの二本松の親御さんにとても感謝しています。
郡山市から来てくれた小学生のみんな。
私のグループは、2年生から4年生の男の子たちでした。
公園にいるカラスを追いかけまわしたり、
噴水が大きく水を噴き上げるようにと、
「がんばれ、がんばれ、噴水さん!」と大声で応援したり。
大人には思いもつかない遊びを思いついて、
元気に駆けまわるみんな。
慢性的な被曝に加え、
福島では外での活動が制限されているため、
運動不足が深刻なこともあり、
事務局の方から、
「疲れやすいので気をつけてあげてください」
と聞いていましたが、元気すぎて付いて行くのがやっとでした。
こんなに元気いっぱいで、感受性も発想も豊かなこの時期に、
毎日は元気を出しきれずに限られた活動しかできないなんて、
もったいなくて気の毒で、
原発に対して何の責任もない子どもたちが、
どうしてこんな目に遭わないといけないのだろうと、
すごく心が痛かったです。
汚染のないところで少しでも過ごせること、
きっと喜んでくれているだろうな、と思っていたのですが、
ツアーが始まるなり、「あー帰りて―!」の連発。
それはそうだよなぁ。私だって家がほっとする。
たまの旅行なら楽しいけど、しょっちゅうだと疲れる。
せっかくのお休みの日を、一番落ち着く家で過ごせないなんて。
勉強も気になっているみたいで、リュックには宿題が入っていました。
喜んで来ているのではなく、大変な思いで来ているのだとわかって、
楽しんでもらえるといいなくらいの甘い気持ちから、
ほんの少しでも来てよかったと思ってもらえるようにがんばろう、
という気持ちに変わりました。
故郷が放射能で汚染されてしまい、
被曝による身体へのダメージを修復して
大事に至らないようにするために
定期的に故郷を離れなければならない福島の子どもたち。
何も知らずに、
「そんなにいいところにしょっちゅう行けるなんて、
原発さんにありがとうと言わないとね」
などという心ない言葉をかけてしまう大人もいるそうです。
マスコミがちゃんと報道してくれないという問題もありますが、
直の体験、生の声を聞く機会を欠いてしまうと、
理解不足から人を傷つけてしまうことがあるんだと思いました。
子どもたちから学ぶことは福島の現状にとどまらず、
人間としての根本的なことにも示唆をたくさんくれました。
「県外保養は、子どもたちだけでなく、親たちにとっても心の保養になっています。
全国の人々が福島の子どもたちを守ろうとしてくれているんだ、
自分たちは見捨てられているわけではないんだ、と思えるから」
というお話をうかがい、何かしたいという思いが強くなっていました。
何かしたいと思っても、一部屋の借り家住まいでは、
個人的に家に受け入れることは難しいし、
ほかに何かできることないかなぁ、と思っていたちょうどそのときに、
キッズデイ・ウィークエンドのボランティア募集のお知らせが
Facebookで流れてきたのでした。
本格的なボランティア活動は初めてで、
ちょっと勇気がいりましたが、
やってみてわかることが本当にたくさんあって、
一歩踏み出す後押しをしてくれた、
あの二本松の親御さんにとても感謝しています。
郡山市から来てくれた小学生のみんな。
私のグループは、2年生から4年生の男の子たちでした。
公園にいるカラスを追いかけまわしたり、
噴水が大きく水を噴き上げるようにと、
「がんばれ、がんばれ、噴水さん!」と大声で応援したり。
大人には思いもつかない遊びを思いついて、
元気に駆けまわるみんな。
慢性的な被曝に加え、
福島では外での活動が制限されているため、
運動不足が深刻なこともあり、
事務局の方から、
「疲れやすいので気をつけてあげてください」
と聞いていましたが、元気すぎて付いて行くのがやっとでした。
こんなに元気いっぱいで、感受性も発想も豊かなこの時期に、
毎日は元気を出しきれずに限られた活動しかできないなんて、
もったいなくて気の毒で、
原発に対して何の責任もない子どもたちが、
どうしてこんな目に遭わないといけないのだろうと、
すごく心が痛かったです。
汚染のないところで少しでも過ごせること、
きっと喜んでくれているだろうな、と思っていたのですが、
ツアーが始まるなり、「あー帰りて―!」の連発。
それはそうだよなぁ。私だって家がほっとする。
たまの旅行なら楽しいけど、しょっちゅうだと疲れる。
せっかくのお休みの日を、一番落ち着く家で過ごせないなんて。
勉強も気になっているみたいで、リュックには宿題が入っていました。
喜んで来ているのではなく、大変な思いで来ているのだとわかって、
楽しんでもらえるといいなくらいの甘い気持ちから、
ほんの少しでも来てよかったと思ってもらえるようにがんばろう、
という気持ちに変わりました。
故郷が放射能で汚染されてしまい、
被曝による身体へのダメージを修復して
大事に至らないようにするために
定期的に故郷を離れなければならない福島の子どもたち。
何も知らずに、
「そんなにいいところにしょっちゅう行けるなんて、
原発さんにありがとうと言わないとね」
などという心ない言葉をかけてしまう大人もいるそうです。
マスコミがちゃんと報道してくれないという問題もありますが、
直の体験、生の声を聞く機会を欠いてしまうと、
理解不足から人を傷つけてしまうことがあるんだと思いました。
子どもたちから学ぶことは福島の現状にとどまらず、
人間としての根本的なことにも示唆をたくさんくれました。
20130507
平和を希求したのはやっぱり日本人だった
中学でだったか、高校でだったか忘れましたが、
憲法が好きでなのか、記憶力の訓練だったのか、
放課後になると、黒板に憲法の全文を
そらで書いている男子がいました。
なぜだったのかは、きいたことがないのでわかりません。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」とか
ブツブツ言いながら書くのを横で聞いていて、
なかなかいい憲法だなぁ、日本っていいなぁ、と思った記憶があります。
憲法についてはその程度しか思い入れがなかったのですが、
自民党と維新の会が改憲に向けた動きを本格化するなかで、
そんなのまずいんじゃないか、と思い、調べるようになりました。
よく、占領軍に押し付けられた憲法だとか言われていますが、
私には感覚的にすごくなじむ憲法で、
日本的で情緒的で、アメリカの人が作ったなんて、
本当かなぁ?と思っていました。
その謎がやっと解けました。
憲法9条を入れたのはやっぱり日本人だったのでした。
幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)さんという方が、
憲法が好きでなのか、記憶力の訓練だったのか、
放課後になると、黒板に憲法の全文を
そらで書いている男子がいました。
なぜだったのかは、きいたことがないのでわかりません。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」とか
ブツブツ言いながら書くのを横で聞いていて、
なかなかいい憲法だなぁ、日本っていいなぁ、と思った記憶があります。
憲法についてはその程度しか思い入れがなかったのですが、
自民党と維新の会が改憲に向けた動きを本格化するなかで、
そんなのまずいんじゃないか、と思い、調べるようになりました。
よく、占領軍に押し付けられた憲法だとか言われていますが、
私には感覚的にすごくなじむ憲法で、
日本的で情緒的で、アメリカの人が作ったなんて、
本当かなぁ?と思っていました。
その謎がやっと解けました。
憲法9条を入れたのはやっぱり日本人だったのでした。
幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)さんという方が、
9条は「長い間僕が考えた末の最終的な結論」と語っている
憲法調査会の資料がありました。
環境活動家の田中優さんのメールマガジンで
触れられているので、ぜひ読んでいただけたらと思います。
http://tanakayu.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html
憲法を変えてしまうとどうなるか、優さんの考察も書かれています。
私は田中優さんの、自分は自分の頭で考えて判断する、
ほかの人にも、自分の頭で考えてほしいという姿勢がとても好きです。
新聞でも見出しのつけかたでだいぶ印象が違うし、
同じ事件でも、こっちの新聞には書かれていて、
そっちの新聞には書かれていない、ということが多々あり、
どの情報を出してどの情報を引っ込めるかでも、
主たるメッセージが異なってきます。
大きなメディアが言うからとか、
専門家が言うことだから、とか、
だれかの意見を盲信するのではなくて、
一度、自分の頭でよく考えて、どう感じるか心にきいて、
腑に落ちないところがあれば、
一次ソースをあたるなど、徹底的に調べ、
自分の考えを持つことが、
今の世の中を生きていくうえでは、
とても大切なことだと思っています。
【参考】
1%の既得権益者のための社会ではなく、
99%の国民のためになる社会をつくろう!という
市民団体プロジェクト99%では、
自民党の憲法改正案について、イラストつきで
わかりやすく解説した資料を用意しています。
こちらからご覧になれますので、見てみてください。
*プロジェクト99 「こんなに危険!~自民党の憲法改正草案」
ほんとは原っぱで寝そべったり、
ぼーっとしてのんびり過ごしていたいけど。
こんな世の中だから、そういう努力を怠っては、
たいへんなことになってしまうんだ。
むちゃくちゃな未来を生きたくない。
こどもたちに、まごたちに、そんな未来を残したくない。
環境活動家の田中優さんのメールマガジンで
触れられているので、ぜひ読んでいただけたらと思います。
http://tanakayu.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html
憲法を変えてしまうとどうなるか、優さんの考察も書かれています。
私は田中優さんの、自分は自分の頭で考えて判断する、
ほかの人にも、自分の頭で考えてほしいという姿勢がとても好きです。
新聞でも見出しのつけかたでだいぶ印象が違うし、
同じ事件でも、こっちの新聞には書かれていて、
そっちの新聞には書かれていない、ということが多々あり、
どの情報を出してどの情報を引っ込めるかでも、
主たるメッセージが異なってきます。
大きなメディアが言うからとか、
専門家が言うことだから、とか、
だれかの意見を盲信するのではなくて、
一度、自分の頭でよく考えて、どう感じるか心にきいて、
腑に落ちないところがあれば、
一次ソースをあたるなど、徹底的に調べ、
自分の考えを持つことが、
今の世の中を生きていくうえでは、
とても大切なことだと思っています。
【参考】
1%の既得権益者のための社会ではなく、
99%の国民のためになる社会をつくろう!という
市民団体プロジェクト99%では、
自民党の憲法改正案について、イラストつきで
わかりやすく解説した資料を用意しています。
こちらからご覧になれますので、見てみてください。
*プロジェクト99 「こんなに危険!~自民党の憲法改正草案」
ほんとは原っぱで寝そべったり、
ぼーっとしてのんびり過ごしていたいけど。
こんな世の中だから、そういう努力を怠っては、
たいへんなことになってしまうんだ。
むちゃくちゃな未来を生きたくない。
こどもたちに、まごたちに、そんな未来を残したくない。
20130506
直感と印象
直感もしくは感覚と印象は、似ているようで相異なるもの。
それは灰の詰まった瓢箪と化し、やがては世界を破滅に導く」
そう思うようになったのは
「感覚的で論理的じゃない、だから正しいと思えない」
というだれかの批評がきっかけだった。
初めはなぜ感覚的だと正しくないのか、
論理的だと正しいと言えるのかがわからなかった。
とりあえず「そうですか」と受け取るしかなかった。
しばらく考えて、論理が万能でないということはわかった。
感覚のほうは?
「感覚的で正しくない」と言われるのは、
厳密には「印象」や「思い込み」のこと
を言っているのだと思った。
を言っているのだと思った。
「印象」と「思い込み」は、頭の動き。
人間に見えている世界はごくわずか。
そのわずかななかで得た情報などを
まだ頭のなかで留めているうちは「印象」であって、
それを論理や言葉でそれなりにつなぐと「思い込み」になる。
感覚や直感というのはそれとは違う。
感覚や直感は、心の動き。
頭で処理するさまざまな情報を
自分ならどう思うか、どう感じるだろうか、と
何度も何度も反芻するうちに、
情報から得た印象は実感として心に降りてきて蓄積され、
感覚や直感を強化するのだと思う。
そして、感覚や直感は、
視覚や聴覚、嗅覚、味覚、触覚と同じように、
生まれつき備わっているもの。
なにか偉大な不思議な存在が私たちにくれたもの。
すべてが見える偉大な不思議な存在の目が見ている真実を、
わずかな世界しか見えない人間が察知できるように
心に備えられたセンサーのようなものだと思う。
映画『イエロー・ケーキ~クリーンなエネルギーという嘘』に、
アメリカの先住民族ホピ族が、
ウランのことを警告した予言が出てくる。
「母なる大地から心臓をえぐり出してはならないウランのことを警告した予言が出てくる。
それは灰の詰まった瓢箪と化し、やがては世界を破滅に導く」
(ウランだけではなく、土を掘ってえぐり出す、
ほかの鉱物についても言っているのかもしれないが)
科学や論理を駆使しない彼らが、
直感で得た予言のほうが正しいということは、
原子爆弾や、チェルノブイリ、スリーマイル、
東京電力福島第一原発での事故などで
まざまざと見せつけられたはずだが、
まだ目を覚まさない人もいる。
まだ目を覚まさない人もいる。
日本であれだけの大災害を引き起こし、
今なお、苦しんでいる人々がいて、
暮らしへの不安が日本だけでなく
世界中に広がっているというのに、
世界中に広がっているというのに、
科学や論理では、未だに結論が出ていないようだ。
頭のざわめきを静かにすると
心の声が聞こえてくる。
それが感覚や直感だと思う。
私自身はこれまで、直感を信じて間違ったことはなかった。
間違うときは印象や思い込みに囚われているか、
誤った前提にたって論理を組み立てた場合だった。
* 映画「イエローケーキ ~クリーンなエネルギーという嘘~」の監督インタビューがこちらに掲載されています↓
http://www.cataloghouse.co.jp/2012spring/yomimono/genpatsu/002/
* 映画「イエローケーキ ~クリーンなエネルギーという嘘~」の監督インタビューがこちらに掲載されています↓
http://www.cataloghouse.co.jp/2012spring/yomimono/genpatsu/002/
直の体験
日頃、パソコンの前に座って、
調べ物をしてまとめたり、
書物をしたりする仕事が多い。
パソコンの前に座っていると、
インターネットでなんでも調べられていると錯覚して
なんでもわかったような気になってくる。
なんだか自分がすごいやつになったような気がしてくる。
いかん、いかん、悪い兆候だ、と自分を戒める。
最近、「偉いさんの肩書きがついていた人のなかには
会社を定年退職したあとでもまだ偉い気がとれなくて
横柄な態度をとる人もいる」という話をきいて、
会社など限られた世界にいても、気をつけないと、
パソコンの前と同じようなことが起こるのかもしれないと思った。
私にとっては、直の体験をすることが、
そういう悪い心にガツンと衝撃を与えて、
謙虚な心を取り戻させてくれるいい薬になっている。
たとえば市(いち)などで、出店者さんや
たまたま居合わせたお客さんと話をするなど、
人と人との直のコミュニケーションをとると、
全然だめだ、まだまだ人間の修行が足りない、と反省できる。
畑に行って野菜を見ていると、
わからない不思議なことがいっぱいある。
朝と昼と夜で全然表情が違う。
無数の生き物の不思議な営みのなかで
野菜が育って、それを食べることができて
自分が今ここで生きているのが不思議になる。
自分に見えている世界がごくわずかであることを思い知る。
山に行ってみるとますますわからないことだらけだ。
暖をとったり煮炊きするのに必要な焚き火も
教えてもらってはじめてできるようになった。
できるようになったと言っても、
まだ火を起こすことすらできないし、
焚き火を絶やさないようにするのもたいへんだ。
大きな虫はまだ怖いし、蛇に噛まれたらどうしたらいいかもわからない。
生きていくために必要なことすらできないひ弱な自分を思い知る。
自然と人。
生きていくうえで関わりあう存在との直の体験。
それによって自分を知り、謙虚さを取り戻す。
その体験をなるべく身近にしておきたい。
調べ物をしてまとめたり、
書物をしたりする仕事が多い。
パソコンの前に座っていると、
インターネットでなんでも調べられていると錯覚して
なんでもわかったような気になってくる。
なんだか自分がすごいやつになったような気がしてくる。
いかん、いかん、悪い兆候だ、と自分を戒める。
最近、「偉いさんの肩書きがついていた人のなかには
会社を定年退職したあとでもまだ偉い気がとれなくて
横柄な態度をとる人もいる」という話をきいて、
会社など限られた世界にいても、気をつけないと、
パソコンの前と同じようなことが起こるのかもしれないと思った。
私にとっては、直の体験をすることが、
そういう悪い心にガツンと衝撃を与えて、
謙虚な心を取り戻させてくれるいい薬になっている。
たとえば市(いち)などで、出店者さんや
たまたま居合わせたお客さんと話をするなど、
人と人との直のコミュニケーションをとると、
全然だめだ、まだまだ人間の修行が足りない、と反省できる。
畑に行って野菜を見ていると、
わからない不思議なことがいっぱいある。
朝と昼と夜で全然表情が違う。
無数の生き物の不思議な営みのなかで
野菜が育って、それを食べることができて
自分が今ここで生きているのが不思議になる。
自分に見えている世界がごくわずかであることを思い知る。
山に行ってみるとますますわからないことだらけだ。
暖をとったり煮炊きするのに必要な焚き火も
教えてもらってはじめてできるようになった。
できるようになったと言っても、
まだ火を起こすことすらできないし、
焚き火を絶やさないようにするのもたいへんだ。
大きな虫はまだ怖いし、蛇に噛まれたらどうしたらいいかもわからない。
生きていくために必要なことすらできないひ弱な自分を思い知る。
自然と人。
生きていくうえで関わりあう存在との直の体験。
それによって自分を知り、謙虚さを取り戻す。
その体験をなるべく身近にしておきたい。
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