20180626

ミス・アメリカが水着とイブニングドレスの審査を廃止、というニュースを読んで

ミスコンテスト(女性の美貌を品評するコンテスト)自体が嫌いで、アホらしいな、と思ってきたが、珍しくミスコンテストの記事に目が止まった。
「ミス・アメリカ」 水着審査を廃止(5 June 2018 on BBC)[英語版はコチラ→Miss America waves bye bye to bikinis



水着だけでなく、イブニングドレスの審査も廃止するという。性的嫌がらせや性暴力の声を上げる#Me Too運動の広がりも影響したのだろう。これからは、「自分らしさを表す、心地良い服を着るよう求め」、「出場者を身体的な外見で審査しない」で、「情熱の対象や知性、ミス・アメリカとしての役割について質問をする」のだという。

5月16日に革命の星・天王星が美を司る牡牛座に入り、「美の革命」が起こるとも言われていた。牡牛座はナチュラルなもの、本質的な中身のあるものを好むサイン。それぞれが持つ本来の美しさを評価するようになる、という動きは、「美の革命」の1つなのかもしれない。

水着姿は女性の私が見ても、泳ぐわけでもないのにそんなに露出しなくても…と目を覆いたくなる。だれが求めているかと言えば、いやらしい気持ちのある男性だろう。女性は男性から性的に搾取される対象というイメージを拡大するだけに思える。女性は外側だけ磨いていればいい、頭はアホでいてほしい、そういう男側の要求を映しているのかもしれない。『男尊女子』しかり、そういう自分にプライドを持つ女性もいる。

美しさというのは多様なものである。長年、世界のこと、愛する人々のことを思い、心配したり、笑ったりしてできたシワも美しい。太陽をさんさんと浴びてできたそばかすやシミも美しい。生まれながらのくるくるした髪も天使のように美しい。みんなそれぞれの美しさを持っている。誰かが評価してこの人が1番美しいと決めるのはおかしい。

こういうコンテストで美しいとされるのは、顔が小さくて、髪が長くてツヤツヤサラサラで、目が大きくて、まつげが長くて、肌にはシミやそばかすなどがなく、鼻が高く、胸とおしりがバランスよくでっぱっていて、ウェストがくびれていて、手足が細長くまっすぐで、9等身と言われるくらいの背丈の女性。一義的である。記事で写真に写っているのもそんな人たちばかりだ。

これからは変わってくるのだろうか。個人の資質、情熱、中身にどうやって順位をつけるのだろう。ミスコンテストという名称も変。ミス=Miss=未婚の女性。想定しているのは、若い未婚の女性だろう。若くなければ美しくないとでもいうのか。そもそも、女性にだけ美しさを競わせるというのもおかしな話。

知性といった個人の資質、情熱で比べるなら、そのうち、ミスコンテスト自体がなくなるかもしれない。その人にしかないそれぞれ固有の美しさ、素晴らしさを称え合うフェスティバルやパーティーのようになったらおもしろい。

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