化粧ほど世間からとやかく押し付けられるものも珍しい。学生のころは少しリップグロスをつけたくらいで、「化粧は不良」と文句を言われ、運がわるければ処罰にあう。成人したら今度は「化粧しないのは失礼」だと言われる。化粧なんかしたけりゃしたらいいし、したくなきゃしなくていい個人の自由なのに、してもしなくてもあれやこれやとまわりからうるさく言われる。化粧品は価格の多くを広告宣伝費が占めるとも言われ、広告の影響が大きいのではないかと思う。
ちなみに「圧力がなければしたくない」にチェックを入れた。肌にわるいし、化粧をすると肌が苦しい。でも、人に会うときは化粧をしないと失礼という暗黙の掟がある感じがするので、まわりに合わせるしかないどうしようもないときは化粧をする。
そのアンケートはSNSを利用したもので、コメントできる形式になっていた。コメントができる形式にしてしまうと、不毛なコメントが集まって、返信に時間を取られることになることが多い。
回答を集めていた方の「見えない圧力」という言葉で十分に言いたいことは伝わるのに、圧力っていうか「刷り込み」?などと言葉尻を捉えてみたり、相手の考え方や感じ方に敬意を払わない人が目についた。自分の表現力のほうが上だとでも見せしめたいのかもしれないが、品性の乏しさのほうが際立っている。
「圧力がなかったとしたら化粧をしたいか、したくないか」という質問なのに、「圧力なんか感じたことない」「何言ってんの?」みたいなコメントが並び、そこから圧力があるかないかの不毛な議論に発展していた。外出時に女が化粧をするのは男が髭を剃るのと同じと言い切るコメントにはさすがに呆れた。女が化粧をしなきゃいけないのも、男が髭を剃らなきゃならないのも、社会からの見えない圧力だろう。
この質問を作った人がいるという時点で、圧力があると感じている人が存在するというのは事実だ。その感覚を尊重するのではなく、自分は感じてないからと相手を否定する。不毛すぎる。自分は感じていないのなら、アンケートに答えなければいいだけのこと。相手が求めているのは反論ではなく、アンケートへの回答だ。
私が回答した時点で300件近くの回答があり、「圧力がなければ、化粧はしたくない」という人が半数近くいた。「圧力がなければ、化粧はしたくない」という人はおそらく「圧力」を感じているか、理解できる人だろう。圧力が存在すると認識している人が半数近くいるのは事実だ。そこで圧力があるかないかの議論をするのは無意味だ。
自分が経験したことがないからと言って、存在しないことにしてしまうのは、頭を怠けさせすぎていると思う。経験したことがあるという人がいたら、そういう人もいるのか、となぜ想像力を働かせられないのだろうか。自分と異なる人への配慮は、そうした想像力から生まれてくる。
「化粧をしたい」のほうが若干多かったが、ずらっと続いていた「圧力とか何バカなこと言ってんの?」とでも言いたげなコメントを見ていると、「圧力がなくても化粧をしたい」と回答している人は、「圧力なのではなくてそれが常識だ」と思っている可能性も高い。むしろ圧力をかけている側の人間が「化粧をするのが当たり前だろう」という意識で「化粧をしたい」にチェックを入れたとも考えられる。そもそも常に化粧をしていれば、不快なことを言われたり、されたり、化粧をしろと言われることもなく、圧力を感じる機会はほぼ皆無なのではないだろうか。圧力ではなく自由意志で化粧をしている人がどの程度いるのかはこの質問の立て方だとわからないとも思った。
大学を卒業したてのとき、上司のクライアント訪問に同行した。一応、薄く化粧はしていたのだが、上司に「お化粧してる?」と聞かれた。「一応していますが」と答えると上司は「してるなら、まあ、いいんだけど」と言った。
男はそのままの顔で人と会っても失礼だとは言われないのに、女だからというだけでそのままの顔で人に会ったら失礼ということになるのだろうというのは、化粧が好きだった学生のころから不思議だった。そのままの顔で会ったら失礼だと言ってくるほうがよっぽど失礼じゃないのか。
新入社員の研修で女性講師が「女性はこんな感じのメイクをすると、印象がいい」などと化粧のレクチャーをしたので、「どうして男性は素顔で会っても失礼ではなくて、女性は素顔では失礼だと言われるのですか」と聞いてみた。返事は「その質問がムカつく」。幸い肌はきれいなほうだった(化粧をしないからもある)ので、「若いからって化粧をせずに出歩けるというのは自慢か」という全く筋違いの返答だった。
どうにか軌道修正して得られた回答は、「自分と会うために時間をかけてくれたというのがうれしいから」という全く要領を得ない回答だった。私が仕事相手に会うのは仕事の話を進めるためであって、華やかな美しさ、あるいは従順なかわいらしさで目を喜ばせるためではない。化粧をすればだれかに会うための身支度にかかる時間は男性より長くなるが、そのおかげで男性よりも印象が良くなるかと言えばそうではない。
だいたい、顔のことをああしろ、こうしろと言うのは、人権侵害ではないだろうか。そのままの顔で何がわるいんだろう。かわいいと自分が思う顔、美しいと自分が思う顔に近づけたくて化粧をするのは楽しいことだろうけど、人にどう思われるかを気にして、自分の顔のあちこちに色をつけたり、陰をつけたり、ハイライトを入れたり、眉毛やまつげの長さや太さや形を変えたりしないといけないというのは理不尽だ。女性だけにそれが求められる。
それに、女性が自分の自由意志でした化粧は、派手だとか、けばいとか、薄いとか、なんやかんやとケチをつけられる。男性だって化粧をしたい人もいるかもしれない。したかったらしたらいいと思うけど、男性は化粧をすると気持ち悪いとか言われる。男性は男性で、化粧をするなという無言の圧力にさらされている。
カジュアルな場面でも、年配女性に「口紅くらいつけろ」と言われたことがある。「もともと赤いから必要ない」と言ったら驚かれた。命令を聞かせたいような権威欲のある人間にはもっときつく言い返すが、そういう人ではなかったので「気にかけてくれてありがとう。血色が悪かったりして顔色わるく見えたら困るようなときはつけるけど、今のところ地色ではっきり見えるから大丈夫」と言ってからは、もう何も言われなくなった。化粧をする理由というのを説明できないのと、気にかけて助言したことが伝わっただけで満足したのだと思ったのだと思う。
結婚式に呼ばれたときは困る。フリーランスとなった今、一番化粧をしないといけない無言の圧力を感じる機会は結婚式だ。世間では「化粧もしてこないなんて」と思う人が一定数いる。いろんな世代の人が出席するし、年配の人ほど化粧をマナーだと考えている人が多い気がする。呼んでくれた人に、「化粧もしてこないような友達を呼ぶなんて」ととばっちりがあったら気の毒で、圧力に屈して化粧をすることもある。
形式にとらわれない結婚式をした人のときは全く化粧をしないで参加しても変な目で見られることはなかったが、やっぱり、形式的な結婚式をした人のときに化粧をしないで行ったら、顔をまじまじ見る人もいた。トイレの鏡の前でリップクリームを付けただけで出ようとしたら、横にいた女性が顔をまじまじと見て「自眉なんだね」と言ったこともある。「自眉」というのはこのとき初めて聞いた言葉だが、眉毛をペンシルなどで書いているのではなく、抜いたり剃ったりせずに自分の眉毛をそのまま生やした自然な形の眉毛のことと思われる。
顔をまじまじ見るというのは失礼な行為だけど、それが許されると認識している相手にはきっと、自分が持っている「女性は化粧をするものだ」という考え方が正しいと思っているからで、誰もほかの人がたしなめたりもしないのは「化粧しないのは変」というのが社会通念としてしっかり根付いているからだろう。
でも圧力を感じながらも化粧をしないことを貫けるときは貫いていたら、変わり者で通るようになり、「あのヒトは変わってるから」という感じでそっとしておいてもらえるようになった感じもする。我道を行ききってしまえば言うだけ無駄だと誰も口出ししなくなってくるが、変人扱いされたくない人も多いだろう。そういう人たちが嫌なのにしなければならないことがあるのは悲しいことだと思うし、自分もここまでの反発や抵抗を感じずに自分を通せたらもっと楽に生きられるのにと思う。
自分が正しいと思っていることをしない他人が出てくると、とにかくああしろ、こうしろと口出しをする。自分が信じている正しいことに当てはまらない行動をとっているのは他者がどう考えているからなのかを考えもせずに、頭ごなしにああしろ、こうしろと命令したり、ああしないあいつはおかしい、と決めつけるのは野暮なことだ。自分が正しいと信じていることと違うことを正しいと思っている場合があるということを思いもつかない人さえいる。常識だと社会通念上思われていることであっても、無意味であったり、無駄であったり、個人の自由を抑圧しているものもある。なぜそうするのかを改めて考えてみて、自分には必要がないと思えばやめたらいいし、必要があるとか楽しいからするとか思えるならすればいいし、人それぞれの考え方を尊重しあう世の中になってもらいたい。
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