【旧暦師走十八日 大寒 次候 水沢腹堅(さわみずがこおりつめる)】
自力と他力のバランス。
これは、ものすごく繊細で難しいと感じています。
私自身は、なるべくなんでも自力でどうにかしようとする率が高いほう。
自分でも、かわいげがないと思うし、
だれかが助けようかと言ってくれても、
「悪いな」という遠慮が先行してしまい、なかなか素直に頼れません。
よくない癖だと思います。
でも、人は誰かの助けなしに生きていくことができないのも事実です。
下心なしに助けを差し伸べてくれる優しい人たちに囲まれるようになり、
誰かに頼ることには、昔よりも抵抗が減ってきたようには思います。
かと言って、だれかをあてにして、
本来は自分ですべきことをだれかにやってもらうのも、
あんまりいいことには思えません。
反対に、自分が誰かを助けたいとき、
恐縮されすぎたり、遠慮されすぎたりすると、
ちょっとさみしかったりもします。
私を助けようとしてくれる人も、もしかしたら
そういう気持ちになるのかもしれません。
何かできることがあるならしたいな、と私が思うのは、
基本的には自分ひとりでやるつもりで、
一人でコツコツ地道にがんばっている人。
誰かに頼る気マンマンの人のことは、
どうも手伝う気になれません。
努力や苦境を笠に着て、
「こんなにがんばってるんだから助けてくれたっていいでしょ」
「こんなにかわいそうなのよ、助けてよ」
みたいな態度にも引いてしまいます。
こちらが助言をしても、打てば響く感覚のない相手にも、
もう助けなくていいかなーという感じがしてきます。
こういう人を助けても、相手の自立を妨げるだけで、
本当の意味では相手のためになっていないように思います。
個人の力を高めることが、一番大切なこと。
すぐに一人ではできないことをサポートして、
相手が一人でできるようにするような手助けはしたいと思いますが、
私が助けることで、相手が自分でやる機会を奪うようなことは
したくないと思っています。
いいことをした気になるだけでは意味がないので。
手伝いたいなーと思う人というのは、
頼るのが苦手なことが多くて、
恐縮されすぎたり、遠慮されすぎたり、
なかなか手伝わせてもらえないことも。
なんだか難しいですねぇ。
こういう本当に助けたい人たちというのは、遠慮がちで、
人に頼ること=人に迷惑をかけること、と思っていることもあるので、
どんな助けが必要なのかも、遠慮して黙ってしまうことも多いように思います。
必要な手助けを明確にしておいてもらったほうが、
「なんだ、そんなことだったらたやすいことですよ」
「それが必要なんだったら、たくさん余ってるから
むしろもらってもらえるとありがたいくらいですよ」
なんていうこともあります。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、
自分でできるかぎりのことはやって、
基本的には自分ひとりでやるという責任感を持ちつつ、
宇宙の采配を待つという姿勢でいようと思っています。
助けてくれる方が現れたら、感謝して助けてもらう。
相手にもきちんと感謝の気持ちを伝えるだけでなく、
その恩をほかのだれかに送る「恩送り」を心がけるようにしたいです。