20151125

科学技術は嫌いではありません。それがあらゆる人に自由と幸福を与えるものであれば。

【旧暦神在月十四日 小雪 虹蔵不見(にじかくれてみえず)】

冷蔵庫なし、洗濯機なし、炊飯器なし、電子レンジなし、などなど、非電化生活をしていて、添加物などの化学物質はなるべく身体に取り入れないというお話をすると、たまに、科学技術を否定していると誤解されます。

そんなことはなくて、科学技術は好きです。ただし、本物であれば…。

非電化は本物の科学技術のひとつです。自転車、魔法瓶、非電化冷蔵庫、ソーラーフードドライヤー。非電化工房の藤村さんの「テクテクノロジー革命」はわくわくしてくる科学がいっぱいです。

今の日本で、手に入れやすい電気は、石炭や天然ガスを燃やしての火力が主です。二酸化炭素を出して気候変動が危機的状況ということで、二酸化炭素を出さない原子力を再稼働しなければ、と政府は再稼働を急いでいますが(たぶんこれは建前でもっとほかに理由がある→本「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのかも重要な視点を与えてくれます)、原子力は海の生態系を壊し、生物全体に放射線で害を与え、核のゴミを何十万年も残します。

そういうわけで、現状の技術では、私はあまり使いたくないので、非電化というアプローチをとっています。ちょっと不便を感じることも多いので、発電の分野でも早く本物の科学技術が追いついてくれたらいいのにと思っています。

鉱物資源を燃やしての火力発電は、地球を温暖化させて、人類を自滅に追い込む。原子力発電も生態系の破壊と自然環境への放射能汚染で人類を自滅に追い込む。

添加物も、無用なワクチンも、遺伝子組み換えも、ポリネーターであるミツバチを死滅させる農薬ネオニコチノイドも、電磁波も、挙げればキリがないですが、現状の科学技術は、人類を自滅に追い込むものが大半です。これは私は本物の科学とは呼べないと思います。

本当に科学が機能していれば、正確な事実をもとにした健全な批判と建設的な議論が行われていれば、こんな技術は使われていないはずです。

私が好きな科学技術は、一部の人間がその他大勢の人間を支配下に置いて金を吸い上げるためのものではなくて、あらゆる人を自由にし、より快適で幸せにするためのものです。

例えばこういう技術なんかはわくわくします。
OMソーラーの家
水田などから電力を「収穫」する新発電技術、オランダ(AFP時事)
東北大学の小澤昭弥教授らのグループが開発した鉛蓄電池の寿命を延ばす粉「ITEアクティベーター」
(蓄電池には寿命があり、リサイクル技術もなかったため、大量の有害ごみが出ることが問題でした)

開発してほしいものはいっぱいあります。
・水や空気を燃料にして走る車
・だれでも簡単に電力自給ができるシステム
・薪ストーブや薪風呂をわかすついでに発電できる家庭用小型火力発電

それから、
・レアアースを使わない太陽光発電システム(*1
・家庭用の水の流れ(お風呂など)を利用して発電する家庭用の小型水力発電
・電気をたくさん長時間ためておける蓄電池
・バイオガスの調理用コンロ
・天ぷら油で走る軽トラック(現状はディーゼル車オンリー
・微生物で放射能を除染する技術(*2
・手入れが簡単で水洗トイレよりも快適なコンポストトイレ
・体温で発電して充電できる携帯電話
・電磁波を身体にいい波動に変える装置

注*1:レアアースはトリウムやウランなどの放射性物質と混在していることが多く、採掘にあたる労働者が放射線被曝してしまうほか、周辺地域の水を放射能汚染してしまうそうです。
*2:これについては以下のような記事があります。
光合成細菌成分による最新の放射能除去技術!3日間で最大90%の放射性物質(Cs・Srなど)を除去!その他の重金属も吸着可能!(真実を探すブログより)

大好きな本「アミ小さな宇宙人」に、科学について次のように書かれています。
"やさしさや善意の欠けた文明は、
かならずその科学を
自滅するほうに使い出すんだ"
"もしある世界の愛の水準が低けりゃ、
それだけその世界は、多くのひとが
不幸で、憎しみや暴力や分裂、戦争などが多く、
とても自滅の可能性の高い、
きわめてきけんな状態にあるんだよ"
"ある世界の科学の水準が、愛の水準を
はるかにうわまわってしまったばあい、
その世界は自滅してしまうんだよ"
今の地球の科学と愛のバランスはどうでしょうか? アミはこう見ています。
"科学と愛のバランスが
科学のほうに異常にかたむきすぎている。
何百万ものこういった文明が、
いままでに自滅してきているんだ。
いま、地球は変換点にある。
きけんそのものだよ。"
科学を研究されている方々には、その研究や技術が、地球全体にとって良いものなのかどうか、あらゆる人々の自由と幸福を促進するものなのかどうか、よく考えて研究をしてほしいと思います。研究をお金で支える人たちにもそうであってほしい。私は技術を使う消費者として、その技術が愛に基づいて生まれたものなのかどうか、よく考えて付き合っていきたいと思っています。