20180828

だれかの活動を支えることによる創造について

直接的に自分が何かを創作していなくても、常に人間は何らかの創造に関わっている。



音楽活動も、作曲して作詞して歌っている人だけで成り立つわけではない。伴奏の楽器を演奏してくれる人、なるべく生の音に近く録音してくれるエンジニアリングができる人、イメージ通りの写真や絵を担当してくれる人、コンサート会場の運営をしてくれる人、コンサート中のスピーカーのエンジニアリングができる人、照明を担当する人、舞台の設営をする人、メイクをする人、スタイリストさん、チケットの販売のシステムを運営してくれる人…、思いつくだけでもかなりたくさんの人が関わっている。手元にあったCDのクレジットを見ると、50人以上の名前が載っていた。

歌っているだけで一切お金が入ってこなかったら、ミュージシャンは生活していけないし、創作にかかる費用を捻出することができない。生活していけなければ、創作活動をやめるか、創作活動にかける時間を減らすかして、収入を得るための仕事をしなければならなくなる。チケットを買ってコンサートに足を運んでくれる人、CDを買ってくれる人、ネットでダウンロード購入してくれる人、お金を払ってくれる人がいなければ創作活動は成り立たない。

ブログを書いている知人は、誰かから喜ばれるとやる気が出てきてブログを書き続けられると話していた。ブログは、最低限、パソコンとネット環境と書きたいことがあれば活動が続けられるので、ミュージシャンほどは費用が必要ないが、それでも、読んでくれる人がいることで生活も安定し(広告収入など)、創作活動に集中できる。

お店を運営している人も、お店の空間を創り上げて、素敵なものを仕入れたり、おいしいものを作ったり、美しいものを作ったりしていても、訪れてくれるお客さんや買ってくれる人がいなければ、お店を続けていくことはできない。

スポンサーがついていたとしても、スポンサーが1つ(もしくは1人)しかなければ、その組織または人物の意向を気にして、作家は本来の自分の作品を生み出すことができないかもしれない。

画家も絵を買ってくれる人や見て喜んでくれる人がいなければ、創作活動が続けられない。『生き延びろ!』に出てきたアーティストの方は、作品を作れば作るほど貧しくなる、と過去を振り返っていた。

自分が何も生み出していないように思えても、何を買うか、どこで買うか、どこに預金するか、何を読むか、何を聞くか、どんな感想をだれに伝えるか、そういった一見、創作活動とは無関係に思える行動で、他者の創作活動を手伝っている、創作に関わっていると言える。そう考えると、普段の何気ない行動も、何を創造することを望むかを重視して決めていく必要があると思える。

逆に自分が創作活動をするとしたら、自分一人だけで創っているという思い上がりは捨てなければならないと思う。自分が創ったものがすごいから多くの人々に認められているとか、たくさん売れているとか、そういった思い上がりは、人間性を低め、その結果、つくるもののレベルも下がってしまう。自分の活動を支えてくれている無数の人たちへの感謝の気持ちがない人の作品は、見かけはすごそうに見えても、中身がさみしい。努力して何かを形にして、喜ばれて、感謝して、またつくって、喜ばれて、感謝して。そういうループに入っていけるといいなぁと思う。

)関連記事