20141018

Intangible--目に見えないもの・形のないもの

【旧暦長月廿五日 月齢 23.9 寒露 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり

Intangible value(無形価値)は、サステナビリティ(持続可能であること)に強く興味を持つようになるきっかけとなった翻訳の仕事で出会った言葉。社会的責任投資(SRI)ファンドによる大手企業数社が生んでいる無形価値についての評価報告書に載っていた。

簡単に言うと、売上や収益などにすぐには、そして直接は表れにくい、社会や環境にどんないいことをしているかを評価した報告書だった。具体的な形として見えにくいので、目に見える売上など(tangible)に対して、目に見えないもの、形のないものという意味でintangible。わかりやすい例を挙げると、動物実験をしている化粧品会社の無形価値は低く評価されていた。

企業の取り組みについて、見えない良い影響を評価していこうという動きがあるのを知って、うれしく思ったのを覚えている。それは、巡り巡って会社の売上につながったり、将来の競争力や技術力、売上などといった長期的な価値創出になるという考え方から、企業の戦略にも関わってくると考えられるようになってきているらしい。

個人の働きについても、数量化しにくい価値、目に見えない価値を評価したらいいのになぁ、と思う。

どんなでかい会社にいたかとか、どんなでかいプロジェクトを動かしてきたかとか、そんな経験や、どんなすごい資格を持っているか、、いくつ肩書を持っているか、どれだけお金をとってきたかという業績などで、人を比べて、劣等感に押し込めたり、優越感を持たせたり、そういうのはもう、これからの時代のやり方には思えない。そんな評価は、商品タグみたいなもので、相対的な評価でしかない(これについて昔書いた記事)。

幸いなことに、私の生んだ無形価値を評価してくれる人は、これまでにたくさんいた。売上を増やしただとか、そういうtangible value(だれにでもわかりやすく目に見える価値)は直接的には一度も出したことがない。

でも、組織の雰囲気を良くしたり、みんなが協力して動きやすいようにアイデアを出したり、必要とされている情報を提供したり、好きでやってきたことの結果を良い影響として評価して、わかりやすい形で報酬をくれた人も何人かいる。学生時代、運転免許をとらせてくれたオーナー。会社にかけあってくださり、「これ以上は無理だった、ごめんなさい」と時給を200円あげてくれた部長。気持ちがとてもうれしかった。目に見えないものも理解できる人たちに囲まれて働けたことを、今でも幸せに思っている。

数字や商品タグみたいなものにばかり目を奪われていたら、人の本当にいいところには気づけない。気づけなければ、伸ばせないどころか、踏み潰して折ってしまうことだってある。

私がここに書いている文章を、いつも読んでるよ、元気をもらったよ、あれ、よかったね、と励ましてくれる人たちがいる。そういう人たちの励ましのおかげで、私はこうして書き続けることができるのだが、そうした励ましは、私が書かない限り、顕在化はしない。

私がここに書き続けられるのにはエネルギーがいる。その物理的な源になっているのは、お米や野菜で、お米や野菜を作ってくれた会ったこともない農家の人、私が買ったお店で働いている人たち、お店まで運んできてくれた人たち、見えないところで私のことを支えてくれている人たちがたくさんたくさんいる。そういう人たちの営みも、私が書かない限り、顕在化はしない。

顕在化はしないが、その目に見えない価値は存在し、共鳴し、増幅し、私にすごく大きな力を与えてくれている。

私の文章というこの小さな例から気がついたことは、多くの偉業も無数の人々のintangible valueに支えられて成し遂げられてきたものだということ。世間では、なにかの賞をとった人だけがもてはやされるが、そのかげにたくさんの人のintangible valueが隠れている。自分1人でとれた賞ではないと語る人もいる。

だれもが素晴らしい働きをしている。それが巡り巡って、どんな大きな良い結果につながっているかわからない。目に見える結果の大小で、認証ラベルみたいなもんだけで、おれはすげえ、おれはまだまだだめだ、あいつはすげえ、あいつはしょぼい、なんて言うのは、もうやめにしないか。