20150130

『里山資本主義』を読んで

【旧暦師走十一日 月齢 9.6 大寒 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)】

相方が先に読んで、内容を聞かせてくれて、読んだ気になっていた里山資本主義をようやくきちんと読みました。とてもいい本でした。

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
「遅れている」と思われている田舎に、「進んでいる」と思われている環境先進国から視察が押し寄せている様子など、なんもない、と思われている田舎に、明るい未来のヒントとなる取り組みがすでにあちこちで芽吹き、着実に大きく広がろうとしていることが描かれていて、希望が湧いてくる内容でした。

想定される(もしくはすでに上がった)反論にもデータや証拠を持ってきちんと反駁していて、多様な考え方の人たちとの意見交換にも役立ちそうだと思いました。マネー資本主義のなかで忘れてしまった、自然とのつながり、地域とのつながり、人とのつながりをもう一度取り戻すことで、安心して暮らすことができるのだということが、実例と共に論理的に書かれています。

個人レベルでは、なにも戦前の暮らしに戻せというのではなく、手間と時間をかける暮らし、自然の恵みを大切に使わせてもらう暮らし、人とのつながりを大切にする選択を少し取り入れるだけでも、セーフティネットとなり、安心感がぜんぜん違う、といったことが述べられていますが、私もそういう暮らしをしはじめて、確かにそう思います。

庭の手入れをして出た枝や、葉っぱを燃やして、煮炊きしたり、焚き火をしながら火消し壺で炭を作り、火鉢で使って暖房と調理に使っています。でも、100%ではありません。急ぐときはガスも使います。野菜や米を育てて食べていますが、自給率は100%ではありません。買ってくるほうがまだ多いくらいです。

でも、少し薪を使っているだけでも、いざ、ガスも電気も使えなくなったときに、どうしたらいいかがわかり、安心感が全然違います。薪と鍋と水があればお米をおいしく炊くことができるようになったからです。野菜も米の自給も、いざとなれば2人で食べていくくらいはなんとかなるでしょう。種さえまけば、土は無尽蔵に栄養を与えてくれます。種をまかなくても、食べられる野草とその食べ方を知っているので、お金を出しても食べ物が買えなくなったとしても、栄養を得ることができます。その安心感は、あるのとないのでは全然違います。東京で震災を経験し、お金を出しても電気が使えない、物流がストップしてお金を出しても食べ物が手に入らない、という状況を味わったこともあり、なおさらそう実感しています。

これまで、環境意識の高い人がこういった本を書くことは多かったと思いますが、経済を専門に仕事をして来られた方がこうした本を書かれるというのは、時代も変わってきているのかも、と思いました。自然と調和して暮らす、ということが、立派な心がけ、はたまた、ストイックな人のやる過激なこと、というふうに思われる時代はもう終わりつつあり、そういう暮らしをすることは自分たちの暮らしを存続していくために必要不可欠なこと、経済を良くしていく鍵となること、人生を豊かにしてくれること、という自分のためのこと、自分たちのためのこと、と見なされてきているのかな、と思いました。また、こうした本が、大手出版社から出され、広く社会に受け入れられ、長い間よく売れているということにも希望を感じます。
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