【旧暦閏月十四日 月齢 13.2 霜降 楓蔦黄(もみじつたきばむ)】
世間知らずと笑われるかもしれないが、初めて友人の結婚式に出たとき、親や身内が末席で、辞めた会社の重役が特等席なのに驚いた。ずっと会っていなかった私なんかが、誰よりも長い間子どもを大切にしてきたご両親よりも、新郎新婦に近くの席で申し訳なく落ち着かなかった。
なんで一番力になってくれているご両親やじいちゃんばあちゃん、親友たちに一番良く見えてお話できる席に座ってもらわないんだろう、一番感謝を伝えるべき人たちじゃないの?と思ったが、その後、何度か出席しているうちに、身内ほど末席に、仕事関係ほどいい席にというのが常識なのかとわかってきた。
近しいほどいつでも会えるから、という遠慮なのかもしれない。それは美しい心遣いだなぁとも思うのだが、なんだかしっくり来ない。
これから先も、困ったときに一番力になってくれるのは、家族や親しい友人たちだろう。それまでもそうだったに違いない。生涯勤めるかもわからない会社の偉いさんが、困ったときに何かしてくれるんだろうか。そもそも、席順という誰の目にも明らかな形で人間に格差をつけるのは嫌いだ。
日本人は、普段の生活でも、親しい人ほど蔑ろにしがちに思える。親しい人を大切にする人を中国的だとバカにする日本人にも会ったことがある。
付き合いの浅いうちは気を使ったり、言動に注意したり、相手の気持ちを理解しようとたくさん想像を巡らせたりするものだ。仲を深めようと会う回数や連絡を多くしようと努める。
仲が良くなるにつれて、安心して、気を使わなくなったり、うっかり失礼なことを言ってしまったりすることもある。
あまり気を使われると水くさく感じたりもする。地が出るというか、素を見せてもらうとうれしかったりもする。
かと言って、おざなりにされたり、バカにされたり、無理な頼みをナメた調子で言われたりすると悲しいし、会う優先順位を低くされたり、連絡が途絶えたりすると寂しいものだ。
私は友だちが少ないから、会う優先順位で悩むことはまずないが、たまに重なりそうになるときには、心を許せる人順にしたいと思っている。
日本的なウチソトの感覚からはかなりずれているだろう。でも、大事にすべきなのは、自分を大事にしてくれる人たちだと思う。いつもそばにいて支えてくれる人たちを後回しにしたり、自分の頭や時間などのリソース配分を少なくしたりするのは、大切にしてくれる気持ちをすり減らしていくのではないだろうか。
いつも誰に対してもリスペクトして、誠実でいられたら、そんなことは考えなくてもよいのかもしれない。今のところは、使える気や想像力や体力、時間やお金などのキャパシティが限られていて、それが難しいのだが、なるべくそうありたいものだ。