20180529

古い布類には邪気が溜まる?

片付けのやる気を出すべく、片付けに関する本やサイトを読んでみていたら、「古いものには邪気が溜まり、特に布類には邪気が溜りやすいので、こまめに捨てる」というアドバイスをよく見かけた。断捨離で有名なある人も衣類は1年で捨てるという。寝具は3年で取り替えるという人もいた。お財布なんかもよく「3年が寿命」と言われるのを耳にする。古いものにはそんなに邪気が溜まるものなのだろうか。

職人さんや作家さんが丁寧に作ってくれたものや、フェアトレードで大切に作られたもの、農薬や化学肥料を使わずに育てられた原料を素材に使っているものなどを厳選して買うようにしていると、値段も相応にするので、そんなに頻繁には買い替られないし、誰かが手間暇かけて心を込めて作ってくれたものを年限で見切って簡単に捨てることなんかできない。まだまだ使えるものを、「邪気」という見えないものが「見える」という人のアドバイスどおりに、捨てる気にはなれない。でも、「邪気が溜まっている古いものを使い続けているといつまでも幸せになれない」などと言われると、やっぱりどうしても気になってしまう。

服はもうかれこれ10年以上使っているものもある。お財布は使い始めて7年くらい。これらにはそんなに邪気が溜まっているのだろうか…? 私には見えないのでわからない。アンラッキーと思うことが増えているわけでもないし、むしろ運がよかったと思う出来事のほうが多い。それでもやっぱり、「邪気が」と言われると気になってしまう。

邪気が見えるわけではないのだが、邪気に弱い体質らしく、邪気の強い人、普段はそうでもないけれど何らかの原因で邪気が強まってしまっている人に会うと、決まって頭痛に悩まされる。邪気の強い音楽や絵なども受け付けないときがある(体調に支障が出る)。暑気あたりみたいに「邪気あたり」になってしまう。敏感になっているときだと、直接会ったわけではなくても、空間に邪気の強い人が入った後に、入っただけで頭痛がしだすこともある。残り香ならぬ残り邪気でもやられてしまうようで、困った体質である。

だが、邪気に弱いものの、古い布類を使い続けていても、別に頭痛がすることはない。そこまで強い邪気ではないからなのかとも思ったが、考えあぐねていたとき、ふと「愛があれば大丈夫」という言葉が浮かんできた。きっと、愛情をかけられる限りは大丈夫ということなのかもしれない。古いものでも、愛でたくなる間、愛おしく思える間は、自分の愛の気を多少なりとも送り込んでいるのだから、邪気よりも愛の気のほうが大きいのではないだろうか。

新しいものを使い始めるときはたいてい、新鮮な気持ちになるし、色褪せも汚れも全くない状態なので「きれいに使おう」と気をつけるし、なんだかうきうきするものだと思う。だけど、使っているうちにその新しいものが新しくはなくなるにつれて、使い方が雑になったり、丁寧に手入れをする気が起こらなくなったり、あまりうきうきうれしい気分にならなくなったりする。そういう状態にならずに、使い始めて何年も経った布類でも、経年変化で味が出てきたことを喜べたり、繕ったり、リメイクしたりして、自分の手でまた使いやすくしたことをうれしく思えたり、そんなふうにして使っていてうれしい気持ちになれるなら、邪気など溜まっていないのではないだろうか。

片付けの本やサイトを読んでいると、誰かが言い出したことを、そのまま横流しにして書いている人も多く、自分の頭を使ってよく考えることの重要性を痛感させられる。しかも、参照元を明らかにせずに自分からのアドバイスのようにしてしまう人も多く、例えば「やっぱり多くの人がそう思うのか…」といった誤解を読み手に与えてしまうかもしれないし、不親切だし(参照元を明らかにしてくれればさらに詳しく知りたい場合に深掘りできるが、そうでなければ難しい)、最初に発案した人にも失礼だ(アイディア泥棒と言われても仕方がない)。

参考になる部分が多い人でも、「うーん、ここはちょっと違うかも」と思う部分は、自分で考えて、自分なりにアレンジしていったほうが、さらにいいものが生まれていくと思う。「なんか違うな」と思いながらも「でもこの人が言うからにはそうなのかな」とまるごと取り入れると、うまくいかなかったからと提唱者を恨みはじめたり、自分が信じている提唱者の言うことに部分的にでも疑問を投げかける人のことを攻撃しはじめたり、結局ろくなことにならない。せっかく一人ひとりにいい頭がついているのだから、自分の頭で考えて実験してそれぞれの答えを探していけばいいと思う。

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