断捨離やミニマリストのブームが起こってしばらく過ぎ、これらの言葉はもうだいぶ一般的になってきた感じがする。
しまい込まれているよりも、「感謝して手放し、送り出そう」といったことは、断捨離や片付け、ミニマリスト関係の本によく書かれている。しかし、送り出した先が、埋立地だとしたらどうだろう? 乱雑に扱われるリサイクルショップだったら? 衣類の寄付にしても、タダでくれるから買わなくていいやという人が増えたり、闇市場に流れたり、現地の経済に悪影響を及ぼしてしまう恐れもあり、現地の人に本当は迷惑をかけている場合もある。
例えば、紙類であればリサイクルが確立しているので、安心して送り出せる。本は状態がよければ、古本屋さんへ送り、また読みたい人のところへ行くかもしれないし、状態がよくなかったらリサイクルに出して、新しい紙類に生まれ変わらせてもらう。紙は安心して送り出せるので、本や書類の循環はよいのだけれど、リサイクルのシステムがないものは捨てるのに罪悪感がよぎる。
「もったいない」という言葉は、物を捨てないという意味ではなく、物が本来の力を発揮できていない状態のことを「もったいない」と呼ぶのだから、使っていないのなら、しまいこんでいることのほうが「もったいない」、だから「手放すべき」、といったこともよく言われる。
安心して手放せる先がないから、モノを溜め込んでしまい、片付けが進まない人が多いのだと思う。もったいなくて手放せないという人は、片付けのできないダメな人なのではなくて、モノに対する思いやりの心があり、先々のことを考えられる人なのではないかと思う。
「感謝して手放す」「物が本来の力を発揮できるところに送り出す」といったキャッチフレーズや、「罪悪感があるなら白い袋に入れて一番上に入れてありがとうと声をかける」「お祓い用の塩を入れる」といった儀式的な行為も、物をムダにしてしまうことへの罪悪感と折り合いをつけるための方便にしか思えない。物を捨てまくってガランとした部屋に1台で多数の機能を果たすガジェットと一緒に住む人が、物とどう付き合っていくべきか、まだ迷っている人たちに、威張って捨てまくることを勧めるのはどうかと思う。邪気がたまって幸せになれないなどと脅すふとどき者もいる。
片付けをできるようになるには、リサイクルのシステムを確立する必要があると思う。例えば、衣類は無印良品なら「BRINGプロジェクト(旧fuku-fukuプロジェクト)」でリサイクルしてくれるので、無印良品で買うことが多い。(某ファストファッションでも店頭回収はしているが、製造時の環境負荷が大きいのと飽きるデザインなのがネックで買うことはない。)フェアトレードの衣料も、天然素材だけのものを選んで買う。植物から生まれた素材なら土に還る。
土には還らないプラスチックだが、リサイクルすることで全体量は減らせると思う。無印良品では、収納に便利なポリプロピレンの衣装ケースや小分けのケースなども、年に1度、試験的に店頭回収をしているようだ。ポリプロピレンはプラスチックの中でもリサイクルが簡単な素材。継続的に回収してもらえるようになるとありがたいし、無印良品以外のメーカーや販売店でも、店頭回収→リサイクルという流れが当たり前になってくれると本当にありがたい。
使わなくなったものを気持ちよく手放して、今使うものだけを大切に使うために、循環することがわかっているものだけをなるべく買うようにしたい(全部は難しいが…)。リサイクルのシステムの整備を促すための行動をできる範囲でしつつ、すぐに世の中が変わらないからと諦めないで、リサイクルができるもの、自然に安全に還るものを選ぶようにすれば、個人レベルでも循環する暮らしはつくっていける。
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