20180417

エシカルジュエリーのことを知ってから

ナチュラルなもの、天然素材、自然に還るものが良い、とは思うのだけど、どういうふうに作られたか、どういうふうに採取されたのか、ということも重視したい。

10年ほど前に、天然石でアクセサリーを作る教室をしている先生との出会いがあり、一時、よく作っていた。アクセサリーは自分で作れるものだというのも驚きだった。先生が持ってきてくれる天然石はどれもきれいで、人工的なプラスチックのビーズや人工的な色付けをしたガラスビーズよりも、天然石を好んで使うようになっていった。

最初は金属のパーツをペンチやヤットコで加工してつなげてアクセサリーを作っていたが、そのうち、つなぐ部分も天然素材がいいと思うようになり、草木染めや無染色の植物素材の紐を編んでアクセサリーを作るようになった。作るのが楽しくて、いろいろなところで石を集めた。もう少し上達したら、販売も始められるかも、などと思っていた。

その後、しばらくして、「エシカルジュエリー」というものの存在を知った。日本では、HASUNAEarthriseなどが有名。「エシカル(ethical)」(*)とは「倫理的な」という意味で、労働者を劣悪な環境で働かせたり、不当な扱いをしたり、地球環境を破壊したりせずに、自然と社会に配慮してつくられているジュエリーが「エシカルジュエリー」と呼ばれる。「エシカルジュエリー」という言葉があるということは、エシカルでないジュエリー、非倫理的なジュエリーがあるということで、児童労働や非人道的な労働が伴ったり、紛争につながっていたりする宝石・貴石もある(もちろん、石に限らず、鉱物資源の多くに当てはまるが)。

考えてみると、天然石も鉱物である。鉱山や大地を深く掘って採取される。環境を破壊せずにとられたものはないかと思って調べていると、天然石の販売元による採掘現場のレポートなどが見つかった。ダイナマイトや重機を使って大地を大きく傷つけることも多いようだ。たしかに、日本でも、例えば、庵治石の産地を遠くから見たことがあるが、重機が暴れまわり、地形が変わってしまうほど大地をえぐっている。あの風景を見たときは悲しくなったが、アクセサリーで使っていた石も同じように大地をえぐっていたのかもしれない。ダイナマイトを使わない場合でも、洞窟に入ったり、崖を登ったり、採掘してくれる人が危険な状況にさらされていることもあるようだ。採掘に行く人々が、誇りを持って冒険に出かけるように石を掘ってきてくれている様子も見られたが、こんなことまでして取ってきてくれていると思うと心苦しくなった。

地球が磨いた天然の色と輝きには魅了されるほどの美しさがあるものの、自然環境と採掘者の犠牲を知ると、そこまでして手に入れたいと思えなくなった。子どもの頃、鉱山跡地に行ったことがあるが、その近くの河原には、ルビーのような石、水晶、メノウなどがゴロゴロしていた。こういう簡単に手に入るきれいな石を加工するのならいいけれど、大地をえぐったもの、だれかがお金のために命の危険を冒して掘って来させられたものはもう買わないことにしようと思った。そういうわけで、天然石のアクセサリーを販売する計画も止めにした。

何も知らなかったときに買い集めた天然石のビーズがまだたくさん手元にある。無知を恥じて全て「断捨離」してしまうことは簡単だが、地球環境と採掘してくれる人の苦労や犠牲を思うと、なおさら大事に使わなければと思った。紐は使っているうちに切れたり、擦れてきたりするけれど、紐を切って石だけにすればまた何度もデザインし直すことができる。今ある石を組み替えるだけでも、一生いろいろなものを作り続けられるような気がする。

*「エシカル」関連の本

はじめてのエシカル――人、自然、未来にやさしい暮らしかた
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