20170330

『長くつ下のピッピ』を読んで

『長くつ下のピッピ』(リンドグレーン作/大塚勇三訳・岩波書店)は、
長くつ下のピッピ――世界一つよい女の子 (リンドグレーン作品集)
前回の記事で書いた『人を見捨てない国、スウェーデン (三瓶恵子・著/岩波ジュニア新書)』で以下のように紹介されていて興味を持ち、
世界一力持ちの女の子「長くつ下のピッピ」は、スウェーデンの児童文学作家アストリッド・リンドグレーンが生み出した物語の主人公です。一九四五年に最初にスウェーデン社会にお目見えしたときには、「良くぞ、自立した女の子を書いてくれた!」という賛成意見と、「なんというしつけのなっていない子なんだ!」という反対意見でスウェーデン社会が真っ二つに割れました。そうです、ピッピは自立した子です。…〈中略〉…スウェーデンでは今でもピッピの劇やテレビ映画が毎年上映されています。ピッピの人気は自立を尊ぶスウェーデン人の心にしっくりくるのだと思います。(pp. 3-4)
読んでみたいと思っていたら図書館で発見。他の國の人たちがしっくりくる作品は、きっと、その國の人たちの思想の根底に共有されるなにか(日本で言えば「わびさび」のような)についてヒントを与えてくれるものだと思う。スウェーデンの人が共有しているその何かを知れたらと思った。

そんなちょっと打算的な動機で手に取ったのだが、パラパラとページをめくって眺めてみると、おもしろすぎて思わずくすっとしてしまう。とにかくおもしろくて1回目はあっという間に読み、2回目はもう少し味わって読もうと思ってじっくり読み、リズムの心地よさと癖になるユーモアをもう一度味わいたくてもう1回読んだ。筋がわかっていても、何回でも読みたくなる作品に出会ったのは久々な氣がする。こんな作品にこどもの頃に出会えていたらなぁ、と思った。

ピッピの物語は、翻訳をされた大塚勇三さんのあとがきによると、作者リンドグレーンさんの娘さんが『足ながおじさん』(スウェーデン語でPappa Langben*[パッパ・ロングベーン])からPippi Langstrump*[ピッピ・ロングストルンプ](長くつ下のピッピ)を思いつき、母であるリンドグレーンさんに「ピッピのお話をして!」とせがんだため、リンドグレーンさんが毎晩ピッピの日々を娘さんに話してきかせ、こうしてできていった物語をもとに、一冊の本に仕上げて誕生したそうだ(*スウェーデン語のLangbenとLangstrumpはどちらもaの上に小さな丸(゜)がつく)。話が奔放すぎて型破りだったためか、あちこちで出版を断られたものの、1945年にようやく出版されるやいなや、スウェーデンの子どもたちを夢中にさせたという。

世の中には、売れるものを作ろうとか、感動させるものを作ろうとか、だれもつくったことのないようなものを作ろうとか、そういう動機で生まれた作品も多いが、つくろうと思ってつくった主人公ではなく、子どもを楽しませたいという純粋な氣持ちでつくられた作品というのはとても珍しいと思った。

この作品の魅力は、大塚さんの表現に深くうなづかされた。
リンドグレーンの作品を読むにつけ、いつも驚きを新たにするのは、この作家の空想のゆたかさと、子どもの夢や心のうごきをじつによく知っていることです。彼女は、小さい読者のしたいことや願いをそのまま本のなかでかなえ、子どもたちのたのしみ、喜びやかなしみ、心のかげりを、まるでいっしょに呼吸でもしているように、いきいきと描くことができます。ですから、作品内のことがらが、ふつうの常識からは異常なものでも、そこには不自然さがすこしもなく、わたしたちを空想の世界の、先へ先へとひっぱっていってくれます。作品は、ともかくおもしろく、そしてわたしたちは、おりおり、ふと、じぶんが感動しているのに気づくのです。(pp. 260-261)
おりおりにふと感動しているのに気づくというのは、私もまさにそんな感じだった。子どもの自由な発想や心の動きだけでなく、リンドグレーンさんが子どもたちに学んでもらいたいと願っていたのではないだろうか、と思うような、人間として大切なことも全く唐突さを感じさせずに溶け込ませながら書かれていると思った。

例えば、人のものを盗むのではなくて、人を楽しませたり、喜ばせたり、役に立ったりすることで、正当な対価をもらうこと。また、楽しませてもらったり、手伝ってもらったりしたら正当な対価をわたすこと。幸せは身近に転がっていること。難しく思える大きな夢でもできそうな簡単そうなところから始めてみればいいということ。自立して生き、他者と幸せを分かち合うこと。年や身分に関係なく、人と平等に対等に交流すること。知らないことは恥ではないということ(学校に行っていないピッピがおまわりさんに「君は大人になってからポルトガルの首都がどこかって聞かれても返事できないだろ」と言われ、「返事なんてできる。ポルトガルの首都がそんなに気になるならポルトガルに手紙を出してきいてみなさいよ!って言ってやればいいよ」と返すシーンは特に好き。知らないことが恥なんじゃなくて、知らないことをバカにするような態度のほうがよっぽどダサイ。知りたくもないことを聞こうとすることのバカらしさも伝わってくる)。

女性の話し方が翻訳にありがちな女言葉なのは、読んでいて引っかかりを感じたのだが、それには時代的なこともあると思う。それでもこんな昔に、女性で子どもという、最も自主性を持ってはならないと想定されていた対象に、自立と自主性と尊厳と平等と自由を謳歌させた作品を書いたというのは、本当にすごいことだと思い、リンドグレーンさんの勇氣にも感動した。大塚さんの訳も物語に没入することができる文章で、原文だけではなく、英語訳とドイツ語訳も参考にしながら(一体何か国語できるのだろう‥)、どうしても必要なところ以外はなるべく原文のまま訳したそうだ。