20170309

良い人間こそお金をたくさん持ってほしい

良い人間は欲が少ない、あるいは、欲を抑えるので、お金なんて私はいい、と考えがちで、お金持ちが少ない。だけど、お金がいらなくなるくらいに社会全体が良い方向に変わっていくまでは、良い人間こそ、お金をたくさん得ることを考えたほうがいいと思う。

お金持ちはわるい意図を持った人間が多い、というイメージがある。彼らは、お金をたくさん得るためなら手段を選ばず、欲深さを抑えることもなく、お金をたくさん得ることに集中して取り組む。他者のことや未来の世界、自然環境のことなんかどうでもいい。とにかく今だけお金だけあればよくて、その量はあればあるだけいい、そんな感じでお金をつくることに脇目も振らずに取り組んでいる。

そんな人間にはなりたくない。でも、今の現実社会ではお金が力を持っていることも事実だ。お金があれば、できることが増えるし、実現の速度を速くできることもある。お金がないとできないこともある。

今はわるい意図を持った人間のほうがお金をたくさん持っていて、それを使っていろいろな人間をわるい計画に引きづりこんでいる。それなら、良い人間ほどお金持ちになって、良いことにお金をまわすほうがいい。わるい意図を持った人間にたくさん持たせるとろくなことに使わない。

良い人間にお金がたくさん渡る世の中にしたい。だけど、今のところ、善行はお金にならない、というのが当たり前のようになっている。この観念が変化の障害になっているのではないだろうか。

先日、社会によいことをしているという何者かの翻訳の手伝いをある企業から頼まれた。それがどんな人なのかもわからないし、その人が何の意図でその資料を使うのかもわからない。いいことの手伝いだから安くても当然やるだろうとも取られかねない頼み方。短納期でフィーは安い。

その企業がその人のことを本当に応援したいという気持ちで安い値段で手伝うんだったら、企業の利ざやを減らすなり、普段の儲けで貯まっている分から企業が負担して応援するべきで、作業をする人間に安い値段をかぶらせるのは筋違いだ。安い値段で作業をさせるのであれば、その人の人柄や動機、意図、研究内容など、手伝うに値するかどうか、判断材料を与えた上で考えてもらう、というような形でなければおかしいと思う。

こういう当たり前のことが歪む。善行はお金にならないものだ、だから当然安くてもやるだろう、というような前提が根底にあるからだろう。この「善行はお金にならない」という考え方を持つ人が多い限り、いいことにお金がまわる社会は遠くなってしまうんじゃないかと思う。

いいことの手伝いだから、といって安く仕事を引き受ける人はたいてい善人で、善人に少ししかお金が回らないということは、善人がよりよいことにお金を使う機会も、善人がよりよいことを現実化するために使うお金も細々としたものになってしまう。わるいことをしてお金をたくさん儲けている人に、人間性や環境や社会によいことにつながる物やサービスを提供してお金をたくさんもらい(もちろん納得のいく価格でなければいけない)、そのお金を善人やいいことをしている人にまわす、そういうことができたらいいのになぁと思った。

実際のところ、いいことがお金にならないことが多いのが現実だ(例えば、間伐やゴミ拾いなど森の手入れをしてもお金にならないのに、森を破壊して無用な人工物をつくることはお金になる)。本当に応援したいと心から思える活動をしている人が、身銭を切って世界全体のためにがんばっていてとてもお金に困っている、私の助けを必要としている、というのなら、私も生活が困らない範囲で手伝うことはしたいと思う。

でも、どんな人物が何の意図を持って何をしているのかがよくわからないのに「いいことですよ、いいことはお金にならないんです、だから格安またはタダで手伝って」みたいなこととか、「寄付をお願いします」みたいなことに手を貸してしまうと、自分が歪むように思う。自分の生活が苦しくなるほどの支援をすることも、健全な結果は生まない。どちらも自分はいいことをしているんだという虚栄心にエサをやることになる。私はこんなに犠牲をはらっているのに、なんであの人はやらないんだ、というような、他人に対する攻撃性が高まることもあるから、全く健全ではない。

いいことをしてたくさんお金をもらう。いいことをお金にする方法を考えて試行錯誤を重ねる。いいことをしている人のものやサービスにたくさんお金を払う。

小さなことでもそういうことの繰り返しで、だんだん良い人間にお金がまわるようになって、良い人間がよいことをどんどんしやすくなって、良い人間のところで良い仕事の手伝いをして安心して暮らせるくらいの収入が得られる人が増えて、良いことをする人しかいなくなって、良いことにお金を使うことが当たり前になっている、みたいな社会にわずかでも近づけていけるんじゃないかと思う。修行のようにやるんじゃなくて、愉しくてやっているうちに、愉しそうだなぁと自発的にやる人が増えるのがいい。

良い人間にこそお金をたくさん持ってもらうにはどうしたらいいのか。これからも考え続けていきたい。

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