20160731

ポケモンGOの危険性について。

ポケモンGOについてフェイスブックに投稿した記事を加筆して掲載します。
"「ポケモンGO」は「監視資本主義」のより大きな文化の一環"
"「何を買ったか、好きなものは何か、そしてとりわけ日頃の行動についての情報を収集・分析している」と指摘"
"「皆さんがどのように行動したがっているのかが把握され、その行動に合わせたモックアップが用意・提供される。いわゆる全体主義というものだ」" (AFPBB 2016.7.22 オリバー・ストーン監督、ポケモンGO現象に「全体主義」を危惧
「ポケモンGO」については、先週あたりから「国家による諜報活動に利用される」「人を集めて自作自演のテロを起こすことができる」など、みなさんさまざまな警鐘を鳴らされていて、「なんやろ、それ?」と思っていたのですが、ようやく少しキャッチアップできてきました。

概要を聞いたところ、スマートフォンのアプリのゲームで、リアルの場所にバーチャルのポケモンがいるという仮想現実がスマートフォンの画面の地図やストリートビュー上に示されて、それをリアルで追いかけて仲間にしていくというものらしいです。

ほかの記事でアプリ上でポケモンが現れた場所にユーザーが群がっている写真なども見ましたが、主従関係が逆になり(本来人が主で物が従のはず)、スマホに使われているゾンビのような人間たちは生気を失っていて気味が悪かったです。まわりのものに不注意になるので、事故にもつながっているそうです。

このオリバー・ストーン監督の発言、アメリカの国家安全保障局(NSA)の元職員エドワード・スノーデン氏(アメリカの諜報活動について内部告発したため、アメリカから指名手配されてロシアに亡命中)をモデルにしたストーン監督の映画についての討論会での発言だったので、それはありえるだろうな、と個人的には思っているのですが、もう少し、ほかの人にも説得力があるように話せる材料をと思い、もう少し調べています。

ロシアでは、議会で「群衆を集めたり特定の情報を拡散したりして、政変を起こす道具として使われる可能性がある」「ポケモンGOが米国の情報機関によって作られた可能性がある」という意見も上がっています(朝日新聞2016.7.22 "ポケモンGOに米国スパイ説? ロシア、配信前から騒動"より)。

「特定の情報を拡散したり」ってこれやん、と思った事例がありました。
自民党本部は「永遠の与党」 ポケモンGO、地図に表示(朝日新聞7.22)
以下の記事によれば、CIAと密接な関係があるとのこと。
クレムリンの調査機関によると、『ポケモンGO』にはユーザー情報の追跡を許可する機能が内蔵されており、非常に危険だとしている。

事実、『ポケモンGO』を開発した「ナイアンティック社」のCEO、ジョン・ハンケは2001年にグーグルマップとグーグルアースの実現に貢献した「キーホール社」を設立した人物だ。

キーホール社」は2004年にグーグルによって買収されたが、もともとこの会社は、CIAが有望なベンチャービジネスへの投資を行うことを目的に2000年に設立したインキュテル社(In-Q-Tel)」の出資で設立された。

さらに「インキュテル社(In-Q-Tel)」は、米国防省の「米国家地球空間情報局(NGA)」の出資でできた会社だ。この機関は、国家の安全保障に必要な地理空間情報の提供をおもな任務にしている。

『ポケモンGO』をジョン・ハンケの会社が開発したという事実を踏まえれば、CIAや「米国家地球空間情報局(NGA)」が、ゲームのユーザーからデータを収集する目的を持っている可能性は無視できないほど高くなってくる
2016.7.31 ロシアが本気で警戒『ポケモンGO』アメリカ陰謀説の意外な真実味=高島康司
類似の情報が以下にもあります。
プーチン:CIAとつながりのあるポケモンGOをロシア国内で禁止に(世界の裏側ニュース:Putin To Ban Pokemon GO From Russia Due To Links To CIA 7月17日【Your News Wire】http://yournewswire.com/putin-to-ban-pokemon-go-from-russia-due-to-links-to-cia/ より翻訳)
ロシアの調査結果ということで、ほかの情報がないため、100%これが真実とは言い切れませんが、いずれにしても気持ち悪いですね。いい大人がゾンビみたいにスマホ片手に、実在のないものを求めて群がる。世も末だと思ってしまいます。 

20160730

社会や政治のことを語ることについて。

SNSを含め、私の投稿はどうしてもトゲが出ているらしい。読んだ人に責められているような感覚を持たせるという。

そう言われて考えたのだけど、責められているような感覚を起こさせるのは、自分にまだ無理をしているところがあるからだと思う。

社会の問題について考え、語る。ひとそれぞれ、見えているものが違うなかで、いろいろな意見があり、自分の意見を語ることで、不快な気持ちを持つ人もいるだろう。いろいろわるいことも思われるかもしれないし、誤解されたりもするかもしれない。SNSの投稿では反応は皆無に近いので、どう思われているのかはわからず、やめたほうがいいのかな、と思うこともある。相方以外に深い話をするのは、そもそも苦手だ。

それでも、今は政治が暗澹たる状況で、そういう恐怖で逃げて、何も言わずにいられる状況ではないと思っている。だから、少し得意でないことを無理してやっているところがある。

自分が無理してやっているから、他者を責めるような気持ちが出てきてしまうのだと思う。正直に言えば、どうしてもっと多くの人が言論の自由を行使しないんだろう?とも思うし、主権者なんだからもっと社会のことを考えるべきだと思うし(私自身、3.11まではずっと無関心だったから偉そうなことはとても言えないが、原発事故や戦争に加担してしまったということへの衝撃も大きかったため、数年遅れてでも気づけてよかったと思っているし、反省からも声を上げ続けようと考えている)、活発に自分が思っていることをリアルでもネットでも語る人がもっと増えることが、民主主義の土台になるとも思っているので、もっと語ってほしいなあという気持ちはある。そういう想いが、やっぱり見え隠れしてしまう。見え隠れというよりか丸見えかもしれない。

そういう本音を上手にカムフラージュして、そっと相手の懐に溶け込んで好感を持たせつつ本音を伝えられるほど、器用ではないし、無理しなくても楽しくできるようになればそういう本音の出方が、みんなもやろうよ、なんでやらないの?みたいな形ではなく、「自分の考えを語って社会を少しでも良い方向に引っ張れるってちょー楽しいよ!」みたいに誘い込むような感じになっていくのかもしれないのだが、前者の芸当を磨くまで待つとか、もっと自分が成長して、人を責めるような感情を全く持たなくなるまで待つとかしていたら、タイムオーバーになってしまうと思う。

もうすでに、日本の民主主義の崩壊は来るところまできている。アメリカと経団連の言いなりと言っても過言ではない政治で、庶民の生活がガタガタだから内需もガタガタで経済もずっと低迷しているし、憲法を無視した違憲立法がまかりとおってしまったし、沖縄の民意も、脱原発を求める多くの国民の声も無視されつづけている。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を謳う憲法が、世界中の人々が何世紀前の憲法だと唖然とするようなものに変わってしまうかもしれない。憲法の改悪に前向きな勢力が衆参両院で改憲発議に必要とされる3分の2以上を占めているのだ。憲法が壊される瀬戸際まで来てしまっている。

だから、自分の芸当や人間性が成長して、他者に対するトゲを出さずに、本音を語り、真実を伝えられるようになるまで待っている時間なんて全くない。

ジャーナリズムがほとんど機能していないし、重要な事実を知らない人はまだまだ多いし、気づいている人たちでもメディアが報じない重要な事実を伝える人もまだまだ少ない。そんななかで、どうやって真実を伝えていくのか? ちょっと勇気を振り絞っても死活問題に関わりのない人間がやるしかない。

私が発言したところで、影響力なんかほとんどないのは重々承知。でも、少しでもあるんだったらやったほうがいいと思っている。実際、変化は少しある。原発はしかたがないと言っていた人が、脱原発を支持するようになったり、自民党の政治資金集めのパーティに行っていた人が自民党の応援を書かなくなり、中国人や韓国人への偏見を諌めるような投稿もするようになった。こういう変化が見られるとうれしい。

それから、政治や社会について真剣に考えて声を上げている人の投稿や話を聞くことが、私もがんばろうという励みになっている。語る人が多くなると、ハードルが下がる。ハードルを下げる一人になれたらいいな、というのもある。

媚を売るような投稿にも腹が立つし、表層しか見えていないのに偉そうに上から目線で書いている人には腹が立つし、事実関係をよく調べずにデマのような情報を流して煽る人も残念に思うけど、それも勉強になる。自分では気がつかない観点から自分を振り返るきっかけも多々ある。

SNSは正直なところ、かなり苦手だけど、今はできることとして思い浮かぶ数少ないことの一つだから、がんばるしかない。国会でがんばっている人たち、デモや座り込みでがんばっている人たちに比べたら、まったく大した苦労ではない。ちょっと疎まれたり、むかつかれたり、怪訝な目で見られたり、友だちをやめられたり、ごくたまにかみ合わない批判を受けたりするくらいのものだ。これは自分との闘いだと思う。

まあでも、無視され続けるのにももうだいぶ慣れてきた(無視されるような書き方なのも自覚しているが、器用でないのでしかたがない)。続けているうちにそのうち、楽にできるようになるのかもしれない。もう少しがんばってみようと思う。トゲが出たままで申し訳ないが。

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20160727

「愚かな民は愚かな代表を選ぶ」

吉本の芸人さんでフリージャーナリストのおしどりマコさんが書かれた以下の記事に「愚かな民は愚かな代表を選ぶ」という言葉がありました。
民主主義って何だ!?少なくともこれじゃない。ゼロから。これから。
7/31投開票の東京都知事選挙における野党共闘のお粗末さなどから、感じられたことを書かれている記事で、私もとても共感しました。宇都宮けんじさんが万全の政策集と仲間たちとともに3度目の立候補を表明されていたので、私は宇都宮けんじさんが東京都知事になってほしいと思っていました。

しかし、野党4党は宇都宮さんでまとまることができず、石田純一さん、古賀茂明さんと二転三転した挙句、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんが、参院選の結果を受けて、憲法改悪への危機感から立候補を決められると、知名度が高くて勝てそうだからという理由だと想像しますが、ギリギリになって鳥越俊太郎さんを野党統一候補とする、と密室で決まったというやりとりがすごく腑に落ちなかったのです。

さらに辟易としたのは、野党共闘に一辺倒になっているリベラル派の人々。

宇都宮けんじさんが撤退を表明されるまでにも、選対のスタッフのみなさんにまで野党共闘を推す一般の人々から、誹謗中傷があったと、宇都宮さんは記者会見で語られていました。

それ以外にも、今回の統一候補を決めるプロセスは十分に公正なものとは言えなかったのではないかといった、野党共闘を応援していないとみなされる発言は、ことごとく叩かれまくり、口汚く罵られていたりして、こんなのは、ネトウヨとか、マスメディアに対して言論統制を強めている政府与党とおんなじじゃないか!とすごく残念に思っていました。

宇都宮さんを応援していた人たちのなかには、宇都宮さんが立候補しないことになったことを受けて、小池百合子氏を応援すると言い出す人もいて、短絡的すぎるとがっかりしました。「宇都宮さんが降りる原因をつくった鳥越が憎い、自民党推薦の増田はだめだから、小池」ということなんでしょうが、小池百合子氏は、憲法の改悪に大賛成で、核武装論者、待機児童問題は詰め込みと保育士の待遇を下げることにつながるような規制緩和で解消しようとしている、原発は推進するなど、宇都宮けんじさんの政策とはかなりかけはなれている人です。

記者会見での発言や記事、アンケート回答などを基に上手にまとめてくださっていた方がいましたので、貼っておきますね。



一時的な復讐心ではなく、宇都宮さんが撤退した目的はなんだったのか、都政で実現したいことに一番近い政策をしてくれそうなのはだれなのか、憲法の改悪に歯止めをかけるためにはどの候補が当選すべきなのか、脱原発を実現に近づけるにはだれを都知事にするべきなのか、など、目的をよくよく考えなおして、今回の投票を考えてもらいたいと思います。

念のために言っておきますが、鳥越俊太郎さんについてはわるく思っていません。辺野古基金の共同代表の一人でもあり、脱原発にも取り組まれていますし、都民の声に耳を傾けるという姿勢も、これこそが都知事に求められることだと思うので、鳥越さん自身については特に文句はありません。政治的な手腕があるのかどうか、不安を感じますが、当選させて終わり、ではなく、都民の代表としてみんなで支えて、ブレーンとともにそっちの手腕も磨いていってもらうということができれば、大丈夫なのではないでしょうか。ただ、決め方のプロセスや取り巻きの乱暴な発言にがっかりしていて、もろてをあげて応援する気にはなれません。

おしどりマコさんがさきほどの記事で書かれていた言葉は、ドイツの放射線防護庁の官僚の言葉だそうです。
「市民が学び、考え、動くことが必要」。昨日も書きましたが、主権者である私たち国民の一人ひとりがよく学び、考え、発言したり、意見を交わしたり、行動したりするということは、ふつうにやるべきだと思います。しかし、今回の一件を見ていて、私たちはまだまだそれにはほど遠い状況にあるということだと思いました。

少なくとも、安倍政権をこんなに持続させている日本国民は平均してしまうと愚かな民だと思います。映画監督の想田和弘さんがフェイスブックに「わかりやすく言うと、現在の日本は、トランプが大統領になって、その後も3回も選挙で勝ち続けているような状況ですよ」と書かれていましたが、本当にその通りだと思います。

あのような未曾有の原発事故が起き、解決もまだ見通しが立っていないというのに、原発を推進してきた自民党を大勝させつづけている。憲法違反の安保法制を強行採決によってゴリ押しし、アメリカとともに血を流す政策をとり、さらに憲法をぶち壊そうとしている自民党をまた勝たせている。挙げればキリがありませんが、こんなことはおかしいということに気がついて、わかりやすく語れる人も、声を上げる人もまだまだ少ないし、そもそも、まだ気づいていない人が圧倒的に多い。日本人は現状では残念ながら、かなりまだ愚かな民だと思います。自分も含めて。

日本は民主主義の国だと思っていたけれど、民主主義が崩れかかって初めて、「民主主義ってなんだろう?」と少なくない数の普通の市民が考え始めた。そして、野党がバラバラに候補者を立てていると票が割れてしまって与党に勝つことが極めて難しく、民意が反映されにくいということに気づいた人々が、野党共闘というのを試してみたのが今回の参議院選挙だったと思います。効果がありそうだとわかるとたちまち有頂天になり、猫も杓子も野党共闘、それ以外の意見は黙らせようとする、じつはリベラル派も民主主義を本当には理解していなかったということが明らかになったのが今回の都知事選。そういうことだと思います。

失敗から学び、民主主義って何だろうと考えつづけ、語り合いつづけ、本当の民主主義を築いていく。そういう段階に、今ようやく入ったのではないでしょうか。