20160730

社会や政治のことを語ることについて。

SNSを含め、私の投稿はどうしてもトゲが出ているらしい。読んだ人に責められているような感覚を持たせるという。

そう言われて考えたのだけど、責められているような感覚を起こさせるのは、自分にまだ無理をしているところがあるからだと思う。

社会の問題について考え、語る。ひとそれぞれ、見えているものが違うなかで、いろいろな意見があり、自分の意見を語ることで、不快な気持ちを持つ人もいるだろう。いろいろわるいことも思われるかもしれないし、誤解されたりもするかもしれない。SNSの投稿では反応は皆無に近いので、どう思われているのかはわからず、やめたほうがいいのかな、と思うこともある。相方以外に深い話をするのは、そもそも苦手だ。

それでも、今は政治が暗澹たる状況で、そういう恐怖で逃げて、何も言わずにいられる状況ではないと思っている。だから、少し得意でないことを無理してやっているところがある。

自分が無理してやっているから、他者を責めるような気持ちが出てきてしまうのだと思う。正直に言えば、どうしてもっと多くの人が言論の自由を行使しないんだろう?とも思うし、主権者なんだからもっと社会のことを考えるべきだと思うし(私自身、3.11まではずっと無関心だったから偉そうなことはとても言えないが、原発事故や戦争に加担してしまったということへの衝撃も大きかったため、数年遅れてでも気づけてよかったと思っているし、反省からも声を上げ続けようと考えている)、活発に自分が思っていることをリアルでもネットでも語る人がもっと増えることが、民主主義の土台になるとも思っているので、もっと語ってほしいなあという気持ちはある。そういう想いが、やっぱり見え隠れしてしまう。見え隠れというよりか丸見えかもしれない。

そういう本音を上手にカムフラージュして、そっと相手の懐に溶け込んで好感を持たせつつ本音を伝えられるほど、器用ではないし、無理しなくても楽しくできるようになればそういう本音の出方が、みんなもやろうよ、なんでやらないの?みたいな形ではなく、「自分の考えを語って社会を少しでも良い方向に引っ張れるってちょー楽しいよ!」みたいに誘い込むような感じになっていくのかもしれないのだが、前者の芸当を磨くまで待つとか、もっと自分が成長して、人を責めるような感情を全く持たなくなるまで待つとかしていたら、タイムオーバーになってしまうと思う。

もうすでに、日本の民主主義の崩壊は来るところまできている。アメリカと経団連の言いなりと言っても過言ではない政治で、庶民の生活がガタガタだから内需もガタガタで経済もずっと低迷しているし、憲法を無視した違憲立法がまかりとおってしまったし、沖縄の民意も、脱原発を求める多くの国民の声も無視されつづけている。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を謳う憲法が、世界中の人々が何世紀前の憲法だと唖然とするようなものに変わってしまうかもしれない。憲法の改悪に前向きな勢力が衆参両院で改憲発議に必要とされる3分の2以上を占めているのだ。憲法が壊される瀬戸際まで来てしまっている。

だから、自分の芸当や人間性が成長して、他者に対するトゲを出さずに、本音を語り、真実を伝えられるようになるまで待っている時間なんて全くない。

ジャーナリズムがほとんど機能していないし、重要な事実を知らない人はまだまだ多いし、気づいている人たちでもメディアが報じない重要な事実を伝える人もまだまだ少ない。そんななかで、どうやって真実を伝えていくのか? ちょっと勇気を振り絞っても死活問題に関わりのない人間がやるしかない。

私が発言したところで、影響力なんかほとんどないのは重々承知。でも、少しでもあるんだったらやったほうがいいと思っている。実際、変化は少しある。原発はしかたがないと言っていた人が、脱原発を支持するようになったり、自民党の政治資金集めのパーティに行っていた人が自民党の応援を書かなくなり、中国人や韓国人への偏見を諌めるような投稿もするようになった。こういう変化が見られるとうれしい。

それから、政治や社会について真剣に考えて声を上げている人の投稿や話を聞くことが、私もがんばろうという励みになっている。語る人が多くなると、ハードルが下がる。ハードルを下げる一人になれたらいいな、というのもある。

媚を売るような投稿にも腹が立つし、表層しか見えていないのに偉そうに上から目線で書いている人には腹が立つし、事実関係をよく調べずにデマのような情報を流して煽る人も残念に思うけど、それも勉強になる。自分では気がつかない観点から自分を振り返るきっかけも多々ある。

SNSは正直なところ、かなり苦手だけど、今はできることとして思い浮かぶ数少ないことの一つだから、がんばるしかない。国会でがんばっている人たち、デモや座り込みでがんばっている人たちに比べたら、まったく大した苦労ではない。ちょっと疎まれたり、むかつかれたり、怪訝な目で見られたり、友だちをやめられたり、ごくたまにかみ合わない批判を受けたりするくらいのものだ。これは自分との闘いだと思う。

まあでも、無視され続けるのにももうだいぶ慣れてきた(無視されるような書き方なのも自覚しているが、器用でないのでしかたがない)。続けているうちにそのうち、楽にできるようになるのかもしれない。もう少しがんばってみようと思う。トゲが出たままで申し訳ないが。

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