『ルヴァンとパンとぼく』 (甲田幹夫・著/平凡社・刊) |
この本の原稿はもともと、雑誌『うかたま』(農文協・季刊)に連載されていたものを再構成し、書き下ろし原稿と対談(按田餃子店の按田優子さんとの対談)を追加したものだそうです。連載の期間は2008年から2017年までと、なんと10年近くに渡るロングラン企画だったようです。
甲田さんの描かれた絵もたくさん掲載されていて、ユーモアが効いていたり、描いているときの楽しさが伝わってきたり、さわやかな景色だったり、見ているだけでふっと力が抜けてリラックスできるような絵でした。お店のスタッフの方々も美術系の得意な方が多いとのことで、スタッフの方が描かれた絵もあちこちに載っていました。
ルヴァンのパンは、昔、東京に住んでいた頃に食べたことがあります。とても大好きなパンでした。富ヶ谷のお店には行ってみたいなと思いながら、渋谷とか都会のど真ん中が苦手で近づく機会がなく、結局行けずじまいでしたが、本で読んでいたら、思ったよりものんびりした雰囲気の場所で、行ってみたらよかったなーと思いました。
ルヴァンの創業は1984年とのこと。私が生まれる前から、自家製天然酵母を焼いていたなんてすごいなーと思いました。今でこそ、天然酵母パンはよく知られるようになりましたが、その頃はふわふわの白いパンが主流で、ハード系のパンは、「その日焼いたパンなのに『古いんじゃないの?』『わるくなってるよ』と言われたこともある」とのことでした。今のように天然酵母の起こし方や天然酵母でのパンの焼き方のレシピもあまりない時代に、試行錯誤で取り組まれていた話も書かれていました。まさにパイオニアだったのですね。前にこちらのブログでご紹介させていただいた、天然酵母パンタルマーリーの本『菌の声を聴け』にも、著者の渡邉さんがタルマーリーの創業前にルヴァンで修行していた話が出てきました。ついでながら、調布で卸売中心でパンを作っていた頃の仲間として自家製天然酵母パンの「木のひげ」を創業した方のお話が出てきて、「木のひげ」のパンもよく自然食品店で買って食べていたのでとても懐かしかったです。「親指トム」というクッキーの話も出てきて、これも本当によく食べていたのでなんとも懐かしかったです。
先駆者というものは、外からの評価を気にするようでは務まらないのだなあと思いました。自分がこれだと思うことを続けていれば、そのうち気の合う人が現れて、そのうち気の合う人がどんどん増えて、道ができてくるものなのだと思いました。
対談で出てきたお話で、おもしろいなーと思ったのがお客さんが様子見をして黙るという現象。これまでにないものなのでおいしいのかどうかお客さんが判断できないでいて、まわりの様子を見ながら「おいしい」とか何も言わない状況が続いた後で、インフルエンサーみたいな人が「おいしかった」と言い出すと、自分の感覚は間違っていなかったのかと安心して様子見をしていた人たちが「おれもおいしかったと思ってたんだ」みたいなことを発信しはじめるという現象について語られていて、そういうものなんだなーと思いました。「おいしかった」と言ってしまった後で実はよいものではなかったという評価になるのも怖いし、「おいしくなかった」と言ってしまった後で実は優れていて「あいつはモノの良さが分からないやつだ」と言われるのも怖いという。様子見というのはそういう現象なんだろうと思いました。まわりの評価がしーんとしていても、だからといって、よくないものを作っているというわけでは決してなく、むしろ斬新で真新しいことを表現しているということもあるのだと思います。自分がこれだというものを続けていればいいのだと思いました。
しっくりこないので3年で仕事をやめて、1年旅をして、また3年仕事をして、みたいなことを続けてきたそうです。甲田さんは若い頃、しっくりこないことをずっと続けるのではなくて、しっくりこなければやめて次へ行く、やってみてまた考える、というのを繰り返していくうちに、本の中では「ルヴァンとパンには矛盾がない」から続いたと語られていましたが、自然としっくり来る自分のなりわいと出会えたのだなーと思いました。そういう偶然の出会いの積み重ねがおもしろかったです。