全く失礼ではなさそうな早口でぶつっと切れる「失礼ですが?」。「なんのことだろう?」と面食らっていると、不機嫌そうに「失礼ですが、お名前は?(怒)」と言われ、「ああ、名前を聞きたかったのか」と理解した。
電話の最後で相手が名乗ってから突然勢いよく出てきて最後の「が」でぶつっと切れるこの「失礼ですが?」。その後、幾度となく耳にした。次第に慣れてきて「これは名前を聞いているんだな」とスムーズに名前を名乗れるようにはなったが、変な慣習だと思っていた。文字の上では「失礼ですが」なのに、口調は全く失礼ではなさそうで、こちらが名前を伝えるのは当然だと思っている口ぶりであることが多い。
年上の正社員の人に、「電話の最後の『失礼ですが?』が名前を聞いているって最初わかりませんでした」と笑い話として話したら、「常識を知らないんだな」と心配されたようだった。
名前を聞くのは失礼だから「お名前は?」までは言わない人もいるらしい。名前を聞くのが失礼というのは驚きだった。たしかに必要のないときまで名前は名乗りたくはないが、名前を知らないと成り立たない仕事のときでさえ、名前を聞くのは失礼なのか、そういうものなのか、と腑に落ちないような気分だったが、そういうものなのだからとモヤモヤには蓋をして、紋切り型の電話対応をこなしていた。
日本では、相手の名前を尋ねるという行為は失礼に当たるらしいということをこのとき理解した。
地方に移住して、家で仕事をするようになり、会社に通って仕事をすることがなくなったので、仕事上でこういうことを経験する機会はなくなったが、移住後、「奥さん」と呼ばれたり、子どもの有無を聞かれたり(子どもがいたら「お母さん」と呼ばないといけないからなのか)することが増えた。
女性が1人でいても、20代後半以上に見えると認識したら「奥さん」と呼ぶ人もいる。慣れないうちは「なんて失礼な人だろう」とイラッとしてばかりだったが、これも「名前を聞くのが失礼」というルールの下で行動しているのだろう。だから、関係性から推測して間違いなさそうな、もしくは、間違っていても怒られなさそうな呼称を当てはめられることが多いのかもしれない。
相方と一緒にいると、初対面の人から必ずと言っていいほど「奥さん」と呼ばれる。相方が名前を聞かれる場合もあるが、私は聞かれず、以降、「奥さん」で済まされる。相方が名前を聞かれない場合は、「ご主人」と「奥さん」とそれぞれ呼ばれる。
相方と私はパートナーどうしではあるが、法律婚はしていないので、紙の上では夫婦ではない。仮に結婚していないにしても、「あまりにも仲がいいので夫婦だと思ったから奥さんと呼んでしまったのだ」とでも言えば、たいていの人は喜ぶとでも思って、男女2人でいる人たちを見たら女の人のほうを「奥さん」と呼んで済ませる人が多いのかもしれない。
他に適切な言葉を知らないのだから仕方ないとあきらめて、我慢して受け流してはいるが、相方が「主」で私は「従者」なのか、私と相方の関係は対等なはずなのに主従関係にしか見えないのか、私は相方の召使いなのか、相方が飼い主で私は奴隷なんだろうか、といつもモヤモヤする。
パートナーと一緒にいるときに、他人から「奥さん」「ご主人」で済まされて喜ぶ女の人は実際にはどのくらいいるのだろうか。
ある庭師さんのエッセイで、依頼主の家庭に行ったときに、「奥さん」ではなく、名前で呼んでいたら(庭師さんはそれが当然だと考えている)、女の人が「こんなふうに個人として扱ってもらえることはほとんどないのでうれしい」と言われて驚いたという話を読んだことがある。
海外で暮らしたことのある人によると、他者の関係性を憶測して勝手に決めつけて呼ぶことを英語ではassumingといい、欧米では品格のない恥ずかしい行為として忌み嫌われるそうだ。assumeは「~を憶測する」という動詞で、その動名詞形のassumingは「憶測すること」という意味になる。
欧米でなくとも、憶測に基づいてだれかを決めつけて呼ぶことは、名前を聞くことよりもよっぽど失礼だと思う。ましてや子どもの有無を聞くなんて、名前を聞くよりもはるかに失礼だ。
名前を聞くのが失礼だと思うのなら、男女2人でいる人に対して、相手が自分から関係性を明らかにするまでは、関係性を憶測した言葉に当てはめるのではなく、お互いに理解できるような説明で特定するような言葉を探して伝える工夫をするとか、なるべく、対等な言葉を選んだほうがいいと思う。たまに「ご一緒の方」、「お連れ合いの方」とか、「よく一緒にいらっしゃる方」など、配慮した言葉遣いをしてくれる人もいる。
関係性を憶測して勝手に決めつけて呼ぶことは、自分の知性の低さとゴシップ的なネタへの関心の高さを露呈することになる。相手は、表面的にはにこにこして受け流していても、本当は不快に思っているかもしれない。
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