20180206

スマートフォン✕SNS=写真嫌いには生きづらい時代

昔から写真を撮られるのが嫌いで、卒業アルバムでも、カメラを発見すると逃げまくり、どうしても仕方のない集合写真と個人写真以外は、可能な限り写らないようにしていた。スマートフォンが普及して、SNS利用者が増えるにつれて、許可もなくバシャバシャと撮りまくる人が増え、写真嫌いには生きづらい社会になった。

ワークショップで新しいことを勉強するのも好きだったけど、今は写真がつきもので、開催側も参加者も写真を撮りまくるので、参加しなくなった。きちんとしているところだと、開催側が肖像権のことを理解していて、写真を撮りたい場合は事前に写真の撮影と掲載の許可を確認してくれるのだけど、きちんとしているかどうかが、行ってみないことにはわからず、「これおもしろそう!」と思っても、その数秒後には「でもまた写真勝手に載せられそうだからやめとこ…」となる。

知人が企画したワークショップでのこと。参加者の一人が記念写真を撮りたいと言い出し、ほかの参加者にも嫌がる人がいなかったので、記念写真を撮影した。知人は、参加者全員に記念写真を送ってもらえるようにと、参加者とのやりとりを管理していた協力店にデータを送付した。写真のマナーについては理解しているものと信頼して、SNS投稿について注意をすれば角が立つだろうと、何も言わずにデータを渡したのが運の尽きで、店のSNSページで公開されてしまったという。

写真を撮った知人は、撮影許可はとっていても、掲載許可はとっていなかったので、掲載されて不都合のある人がいたら、恨まれるのは写真を撮った知人だろう。あまり写りが好きでなかったり、子どもの写真を載せるのはストーカーや誘拐、児童ポルノに加工されるなどのリスクもあるので避けたかったり、別の誘いを嘘の理由で断っていたり…。店との関係も考えると、文句も言えないし、許可なく載せる写真を撮ってしまった罪悪感はあるし、なんとも困った状況だと思う。自分が知人の立場だったら、うるさいやつと思われても、参加者の方に掲載許可はもらっていないことを理由に、SNSなどへの掲載はご遠慮いただくように申し添えて送付すると思う。

友人や知人と会うのも、「また写真ありそうだしな」と二の足を踏む。友人とばったり、友人の店で会ったとき、店のほうの友人と話しているところを、偶然会ったほうの友人が勝手に写真に撮って、その場でフェイスブックに投稿していた。勝手に撮っているのは気づいていたけど、あとで記念に送ってくれるのかな、くらいにしか思っていなかったので、何も注意しなかったのだが、まさかフェイスブックに勝手に載せるとは思わなかった。私の交友関係も、いつ・どこにいたのかも、見ず知らずの人にさらされてしまう。どこでだれがその写真をどんなふうに見ているかもわからない。無表情で流し読みされることもあるだろう。楽しそうでムカつくとか、ブサイクだとか、ネガティブな念を込めて見られることもないとは言い切れない。そう思うと気持ちわるいから、自分では載せないのに、他人に勝手に自分の写真を載せられるのは、データを相手が持っている以上、止めようがなくて困る。

「写真撮ってもいい?」と訊いてくれる人はまだいいのだが、撮った写真をどうするかまでも聞いておかないと、撮った後、個人的な記念にとっておくのではなくSNSでさらされることもある。どこかに載せるのはやめてくれと頼んでも、データを持っている以上は好き勝手されることもあるので、SNSに投稿するのがNGな写真は全て断るようになった。一対一で話してみると手を載せられただけでも嫌だったという本音を聞いたこともあるので、写真が嫌だけど我慢している人は結構いるのではないかと思う。

以前、自宅に遊びに来た友人が記念写真を撮ろうと言うので、家の前で写真を撮った。私が写真を嫌いなのは知っているので、たぶんSNSには載せないだろうと信頼して一緒に撮ったのだが、私が嫌気がさして退会したフェイスブックに載せられているのを別の友人が教えてくれた…。興味本位の人間に自宅を特定されると厄介なので、自宅の外観や、周囲の景色が入った写真など、見る人が見れば場所がわかるような写真は載せないでもらいたい。わからなくて載せてしまったのは仕方がないけど、載せた後で私がそれを言ったところで、被害妄想だの、神経質だのと、多かれ少なかれ憤慨されるのは避けられないだろう。

来て早々、あいさつするかしないかのうちに、家や庭をばしゃばしゃされたり、器を撮られたり、なんで目の前の人間と話をするよりもネタ探しにそんなに夢中なのだろうと呆れてしまう。お店ならまだわかるけど(お店でも失礼だけど)、個人の居住スペースで写真を撮ってネット上に投稿するのは、安全上の問題もあるし、絶対にやめたほうがいいと思う。スマートフォンの写真には位置情報もついているので、いつ・どこで・誰と会ったかが写真だけでダダ漏れになってしまう。そういうリスクを理解せずにほとんどの人はホイホイと写真を載せている。スマートフォンのせいで、家に人を招くのもためらわれるようになった。ちなみに、そういうリスクをとやかく言うのは私だけではない。例えば、女優のエマ・ワトソンさんはそうしたリスクを理解していて、プライバシーを守るためにファンとの自撮りはきっぱり断っているという

他人の写真を勝手に投稿する人は、自分は写真が好きだから、写真が嫌な人の気持ちがわからないのかもしれないと最近まで思っていたのだが、どうもそうでもないようだ。他人の写真を勝手に投稿する人は自分の写真を載せていないことも多いし、載せていても、自分で気に入っていると思われる写真ばかりだ。写りのいい写真を選んで載せているということは、写りのよくない写真は載せたくないという気持ちは理解できるということだと思う。それなのに、他人を勝手に撮った写真を載せるというのはどういう神経をしているんだろう。勝手に写真を載せられた他人は、自分がどんな写りになっているのかを、大勢の目にさらされてから初めて知ることになる。

プライバシーを守ることは、自分が自分でいられる場所を確保することだと思う。自分らしくいようとすると、まわりと摩擦が生じるときもあり、その摩擦を避けようと思えば、自分らしさを心の奥にしまって、まわりとうまく合わせるために仕方なく嘘をついたり、言えるところだけを話したり、使いたくない言葉を使ったりすることもある。その表向きの自分を安心して脱げる場所がプライバシーの確保された空間だと思う。プライバシーの確保された空間であれば、本来の自分に戻っても、攻撃されることも、好奇の目にさらされることも、情報を悪用されることも、ネガティブな感情を向けられることもない。プライバシーの確保された空間は自分で管理すべきものだから、住んでいるところ、使っているもの、交友関係、顔、体形、着ているもの、職業、家族構成、そういったプライバシーに関わる情報をどの範囲まで伝えるかは自分で決めたい。他人から勝手に漏らされるのは勘弁してもらいたい。

SNS時代の写真ルールとマナー (朝日新書)

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