20161008

わがままを許すことが優しさではない

断るに断れず、相手のわがまま放題を許したことについて、優しいとほめられ、感謝されたのだが、これが本当の優しさなのだろうかと苦々しい気持ちになった。

自分の時間や場所、費用、労力などといったリソースを投じて、相手のわがままを通すことを助けたことに、「あなたって本当に優しいのね、ありがとう」というようなことを言われても、ちっともうれしくなかった。

目的が何なのかも告げられず、その目的を果たすための必要経費の一部を負担させられた形になった。そういう意図はそれほどはなかったのかもしれないが、何のために私が相手にリソースを提供して協力しなければならないのかを何も説明しなかったのだから、そう思われても仕方がないと思う。

波風を立てない程度に、やんわりと苦言を呈しはしたのだが、やんわりすぎたのか、相手が鈍感すぎるのか、全く伝わっていなかったようで、その感謝の言葉は、今後また同じようなことを頼まれそうな勢いだった。

横暴やわがままを通して、「ありのままの自分を認めてくれて感謝している」などと言う人がいるが、ありのままの自分がそんな横暴な人間、わがままで他者への気遣いができない人間でいいのか?と思う。ありのままの自分がそんなのなら、感謝よりも謝罪をして、本来はもっといい人間になれるはずなのだから、努力してもらいたい。

相手の横暴を許すことや、わがままを通させることが、優しさではないとはっきりとわかった。相手が望むことであっても、それが相手の人間としての成長にとってよくないことであれば、私は断るべきだったのだ。「そのような頼み方では受けられません」などとは、とても言えないが、そうやってはっきりと気づかせることこそが、もしかしたら本当の優しさなのかもしれない。

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