【旧暦長月廿九日 月齢 27.9 寒露 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)】
環境問題や人権問題、社会問題、平和のことについて、情報発信などをしていると、活動家だと見られることもある。
だけど、私はただの人。何者でもない。
見て見ぬふりができない。自分がこんな状況に置かれたら―。そういうものに出会ったとき、ただの人は何も言ってはいけないのだろうか。何もしてはいけないのだろうか。
自分はどうやら、団体行動は好きではないらしい。考え方をある程度合わせないといけないピア・プレッシャーには耐えられないようだ。かといって、先頭に立つような性格でもない。だから活動家は合っていないと思う。お金を必要以上に儲けることには興味がないから、起業家も向いていない。
しいて名前をつけるなら、実践者だろうか。日々粛々とできることをやっていく。だれにも認められなくても、だれかに疎んじられても、できることを楽しめる範囲でやっていく。
たとえそれがどんな小さなことでも、少しでも良い変化を生めるのなら。だれも目に止めないような、小さな小さな変化でも。それが重なって、大きな良い変化につながっていくのだと思うから。
想い描いていることが全部できているわけではない。だけど、まだ改善の余地があると思えば、それもポジティブに捉えられる。
でかいことをしたいわけじゃない。何かをしているからって、何かを知っているからって、すごいと思われたいわけじゃない。結果としてそうなるならうれしいかもしれないが、それは目標ではない。
でも、どうやら、潜在意識にはそういうプライドが残っているようだ。見下してくる人に触れると、悔しくなったりしてしまう。ただ、すごいことをしている人に対するライバル心みたいなものは起こらなくなったから、それは進歩かもしれない。それに、たとえば、私より後に始めて、私を追い越してもっといいことをしている人に対して、悪い感情は起こらないし、むしろいろいろ教えてほしい、自分を高めるのを手伝ってほしいと思うようになった。
少しずつ、実践を重ねていくなかで、ニンゲンのレベルも上げていけたらいいなと思う。
だって、私はただの人。何者でもない。