【旧暦葉月廿八日 月齢 27.5 白露 玄鳥去(つばめさる)】
昔、職場でお世話になっていた人(仮にAさんとしたいと思います)と、「見てくれている人っていますよね」という話になったことがありました。
偶然でしたが、その「見てくれている人」というのは、二人にとって同じ人でした。彼は隣の部署で英語の学習書の編集をしていて、私たちがそんな話をしていた頃には別な会社に転職していました。
Aさんはデザインが上手で、Aさんの作る本の販促物のデザインはとても素敵です。販促物のデザインで遅くなった時に、その「見てくれている人」とたまたま帰りが一緒になって、Aさんが彼に、「英語の学習書の部署なのに、英語ができないのが申し訳なくて」と話したら、彼は「Aさんはデザインができるでしょう?僕にはできない。それと一緒じゃないかな。僕ができないことをAさんがやってくれているんだから、申し訳なくなんか思わなくても」と言ったのだそうです(Aさんは私から見たらかなり英語ができます。厳しい英語の学校に通って特訓していた努力家さんで自分に厳しいのです)。部署が違っていて、何をしているかわからなさそうなものでしたが、Aさんは見てくれている人っているんだなぁと思ったと教えてくれました。
それを聞いて、私もAさんに、彼が「見てくれていた」話をしました。私が大学で英語を専攻していたのを知って、彼は私に「読んでみる?」とゲラ刷りの原稿を渡してくれたのでした。一通り気づいたことを書いて返しました。その時は何もなかったのですが、だいぶ後になって、編集部でインターンをさせてもらえることになったときに、彼が「(ゲラには)変な指摘もあったけど、あの年齢でたいしたもんだ。育てないともったいない。出版業界が厳しいからと、即戦力しか採らない時代だけど、新しい人を育てないと先はどうなるだろう。僕たちはもう育てる側に立つ年齢になっているのに」というようなことを話していたと、他の人から聞きました。それまで、インターンの前例がなかったことを考えると、私がインターンをさせてもらえることになったことと、彼のその言葉が、無関係だとは思えませんでした。そのインターンを通じて私は編集の経験を積ませてもらうことができて、今の仕事につながっています。
この話を思い出したのは、最近、別の「見てくれている人」の存在を知って、うれしくなったからでした。私が過去にした仕事を密かに見てくれていた人から、新しい仕事をいただきました。とても楽しい仕事で、やりがいを感じています。
その過去の仕事というのは、誰にも悪気はなくて、何かの行き違いだったのだと思うのですが、実は、費用のことで少し不公平なことがあったことを偶然知ることになってしまい、やる気をなくしそうになったものでした。引き受けたからにはいい仕事をしよう、最終的に使う人が喜んでくれるものにしようと、気を取り直して、手を抜かずにきちんと全力でやった仕事でした。そうしてできあがったものを見てくれていた人から楽しい仕事がやってくるとは。どんなことがあっても、一つ一つ、丁寧に、いい仕事をすることの大切さを学びました。
最初のエピソードで書いた「見てくれている人」も、転職が決まったのは「自分の仕事を見てくれている人がいて、来ないかと言ってもらえた」と言っていました。私も誰かのより良い歩みをそっと後押しするような、「見てくれている人」になれるといいなぁ、そんなことを思いました。