20121215

叱られたこと。

21のとき、大学の国際政治の授業で先生が言った。

「選挙行ったことない人いる?」

私と、もう一人が手をあげた。
ほんとはもっといたんだと思うけど、たぶん黙ってた。
もう一人の子もぎっちょげ(*)な秋田の子だった。
(*標準語では、よく言えば実直、悪く言うと馬鹿正直で不器用なという意味)

「なんで行かないの?」

先生の声は穏やかだったけど、明らかに目が怒っている。
びっくりして黙ってたら、もう一人の子が先に答えた。

「よくわからないし、私みたいなもんが大事なことに影響与えるのも…」

先生はすぐさま「君は?」と私のほうを向いた。

「私もまだ勉強が足りないし、決められないです。
 政治家が何を考えているのかわからないですし」

先生は悲しい目になった。
一息ついてから、話し始めた。
私と彼女だけじゃなく、みんなのほうを見て。

「若い人が選挙に行かないということは、君たちのための政策が作られないこと。政治家は投票率をちゃんと見ていて、年齢層が高いから高齢者にウケがいい政策を打ち出してくる。君たちが選挙に行く、というだけでも、君たちの方を向かせられるんだよ。このままじゃ、君たちよりも若い世代はどうなる?よくわからなくても行ってほしい。」

「よくわからない、と言うけれど、君たち、厳しい言い方をするけれども、選挙権がある、ということは考えないとだめだっていうことなんだよ。選挙権を持ったからには、きちんと世の中のことを考えて、どういう世の中にしていくべきか、自分の考えを持たないとだめなんだ。今すぐは難しくても、政党のマニフェストなどをちゃんとよく読んで、考えていかないといけない」

「君たちは、ここに来て授業を受けられるということは、世の中で、ある程度、インパクトを持った人たちってことだ。ノブレスオブリッジ(*)という言葉があるけれど、変えたくても変えられない恵まれない人もいる。だから君たちには世の中をよくしていく義務がある。だから私も大切なことを伝えたくて、ここにこうしてやってきている」
(*位が高い人は徳も高くなくてはいけない、世の中に対する義務があるという意味。階級社会で生まれた言葉)

だいぶ前の話だからちょっと変わってしまっているかもしれないけれど、
だいたい合っていると思う。
先生が叱ってくれたおかげで目が覚めて、初めて投票に行き、
それで投票した人が総理大臣になって、震災が起きて、
一回目の衆議院選挙で、一票の重さを痛いくらい味わった。
いよいよ明日、二回目の衆議院選挙。
戦争は嫌だ、原発は嫌だって、ちゃんと意志を表明してこようと思う。

以下は余談。

先生は政治家のブレーンもされているすっごい人だったのに、非常勤ではるばる教えに来てくれていた。うちの大学の非常勤の先生への謝礼はとてつもなく安いにも関わらず・・・。

本業が忙しくなりすぎて、教えられなくなった先生は、最後の授業で感極まって泣いてくれた。熱い先生だった。

レポートをメールで提出したら、研究所のメールニュースに登録します、と言われ、冗談かと思っていたら本当に登録された。今もメールニュースは届いている。

20121120

自信の根源

自信の根源を外に求めていたときはすごく苦しかった。
それはそれは相対的な世界だったから。どこまでも上には上がいる。
いつまで経っても自信なんて持てそうにもなかった。

たとえ一番になったからといって果たして満足感を得られるのだろうか、
得られたとしてもほんの僅かな間だけとしか思えなくて、
何のために努力をするのかわからなくなった。

ふとした瞬間に、外の評価は商品のタグみたいなものなんだと気がついた。

難しい資格を持っていることは、
たとえばナントカ賞受賞、みたいな認証。

誰か有名な人に推薦をもらうことなどは、
たとえば「テレビで紹介されました」みたいなお墨付き。

どこか難しい大学に入ったことは、
たとえば、高いものしか売っていない店に置いてあるから
きっといいものだろう、みたいな売り場が与える高級感。

外の人が私を評価するときは
そういうものを参考にするから、タグももちろん大切だけど、
そういうタグがもたらす自信は危なっかしくて仕方がない。
外のことはいつ変わるかもわからない。
自信の根源を外に頼っていたらいつ転ぶかもわからない。

自信の根源を外ではなくて自分の内側に求めよう、
タグを取り払ったありのままの自分に自信を持ちたい、
外の評価がすべてじゃないんだと気がついて、
それからは努力は努力ではなくなった。

自分の内に自信の根源を持つために
毎日考え、行動し、積み重ねていく。
思ったままに、したいように行動しても、
人の道を踏み誤らない、そう自分を信じられる、
そういう状態に少しでも近づけたらきっと、
自信の種が心の奥に根を降ろすのだろう。

20121105

生まれも悪けりゃ、育ちも悪い

夕方散歩の帰り道、野川にかかった橋にさしかかると、川岸に白鷺がいた。私はよく見えるようにと、橋の脇の歩道に周った。

白鷺を眺めていると、「ちょっと、失礼」という声がした。
男性が私の足元にあったタバコの吸殻を火箸で拾おうとしていた。

「あ、ゴミですか、すみません」
私がよけると、彼はその吸殻を拾って素早く左手のスーパーの袋に入れた。白鷺に目を奪われて、足元のゴミは目に入っていなかったが、そういえば来るときにタバコを吸っている男がいたことを思い出した。路上にはほかにもタバコの吸殻、菓子の空箱、ビニール袋が落ちていた。

「結構あるものですね」
「世の中、生まれと育ちのわりぃ奴が多いから」
男性は手慣れた様子で、ゴミを袋に集めていった。その手つきから、きっと毎日のようにゴミを拾っているのだろうと思った。

「生まれも悪けりゃ、育ちも悪い。困ったもんだ」
男性はそう残して、ゴミを拾いながら、橋を上っていった。私は歩道を出て、家に向かって坂を下った。

男性の言葉は、ゴミを捨てた人の人間性そのものを否定しているのではないと思えた。行為を罵っているのでもなかった。その人の運命を残念がっている言葉だった。その人の更生を願いつつも、期待はしていない。

私にも拾えと言いたげな気配など微塵もなかった。ゴミを拾っていたのは、そこにゴミが落ちている、ないほうがいいから拾う、ただそれだけのシンプルな理由からなのではないだろうか。いいコトをしているつもりでも、優越感に浸っているのでもないのだろう。

男性の後ろ姿を思い出す。
「生まれも悪けりゃ、育ちも悪い。困ったもんだ」
力のある言葉だった。



20121027

エコ=エゴ?

「エゴよりエコを!」というフレーズをきいたのは2年前だったと思う。最近になって、「エゴよりエコ」よりむしろ「エコ=エゴ」なのではないかと思うようになった。

エゴを、エゴイズム=自己利己主義として解釈するなら、私が自分の利益を考えて、望むことというのはエゴだと定義できるだろう。

たとえば、地球温暖化。地球が温暖化して困るのは私だ。子どもや孫やその先の家族が心配。遠くに住む友人も心配。地球のどこかにいる、まだ会ったことのない誰か、すてきな誰か、彼らが困るのも悲しい。私自身がまだ生きているうちにも温暖化の影響で困ることが起こるかもしれない。だから温暖化は止めたい。これは私のエゴだ。

たとえば、生物多様性。生物の多様性が失われたときに、私が困ることはたくさんある。天然物の魚介類や昔ながらの野菜など大好きな食べ物が食べられなくなる。さまざまな動植物の営みの中で、私の健康を支える食べ物ができている。生物の多様性がなくなったら、私の健康維持は今のようにはいかなくなるかもしれない。動物が大好きだから、きれいな草花が大好きだから、なくなったら悲しい。だから、生物の多様性を維持したい。これも私のエゴ。

農薬や化学肥料が環境に悪いことは知っているが、私がそれらを選ばないのは、環境に悪いのも悲しいが、それ以前に、身体に悪いから。化学染料が適切に処理されなければ環境を汚染する。それも悲しいが、私が天然染料を好んで選ぶのは、自然の色が身体にも心にも目にも優しい、そして美しいと感じるから。

私の服や食べ物を作ってくれた人が農薬で健康を損なうのも嫌だ。健康で楽しく暮らしているニコニコした人が作ってくれた、心のこもったものが着たいし、食べたい。これも私のエゴだと思う。

「エコ」を求めるのは、殊勝な心がけの立派な人というイメージがあるような気がするけれど、もっと現実を知って、自分に引き寄せて考えたら、エコが実現されなかったら、自分にとっての大問題だとわかってきた。だから、つまるところ、エコ=エゴ、なんだと思う。

20120902

 わずかに開いたカーテンのすきまから、朝日が差し込む部屋。一筋の光に、細かな埃がチラチラと浮かび出される。
 
 今まで見えなかったものが見えるようになった。見えるとわたしは気になって、それを手で払おうとする。どんなに強く払おうと、流れが一瞬揺らぐだけで、埃はあいかわらず舞い続ける。わたしはそのうち疲れてきて、カーテンをぴっちりと閉める。埃は見えなくなり、まやかしにつかの間の安堵を得る。

 世の中にあるいろんな問題。良くないとわかっている。そこにあるとわかっている。ときどき、誰かが強い光を投じてくれて、はっきりそれを見えるようにしてくれる。なんとかしたいと強く思う。

 すぐには何も変えられなくて、そのうちまた見えないふりをする。「わたしなんかよりも、もっと効果的にやってくれるひとがいる」「どうしようもない問題だ」「必要悪なのだ」「自分には、ほかにやるべきことがある」。こういうとき、言い訳はいくらでも考えられる。

 よく照らされて、よく問題が見えて、敏感になっているときは、身の回りにある何を見ても悲しくなる。

 泣いているだれかの顔、働いても働いても苦しい生活から抜けられないでいる女性たち、ケガや病気に苦しむ子どもたち、戦い合う人々、引き裂かれたコミュニティ、先祖代々大切にしてきた土地を破壊される民族、自由を奪われた動物たち、荒れ果てた森、砂漠化する大地、やせていく畑、汚された川や海。

 何を見ても、その背景に浮かんでくる悲しい事実。何を見ても、つらくて悲しくて、知らなかったら楽だっただろうなぁと、またカーテンを閉めてしまいたくなる。何も変えられない自分に憤る。

 それでも、知らないほうがよかったとは思わない。利益のために隠された悲しい事実をもっともっと知っていきたい。わたしの心は光を求め続けている。

20120827

「モノに使われるな」

「モノに使われるな」
幼い頃、よく両親に言われた言葉である。

食事のときに、背筋を伸ばした状態でお茶碗を口のそばまで持ち上げるのではなく、背中を丸めてお茶碗に口を近づけたりすると、よくこの言葉で叱られた。

お金もモノのひとつだが、「お金に使われる」、言い換えれば、「お金に働かされる」ことはなるべく避けたいと思っている。嫌なことでもやって、自分や家族を犠牲にして、遠くにいるだれかや自然を傷つけて、それでもお金のために働かなければならない、そういう状態は避けたいと願う。

お金のために働く。嫌なことでも我慢して、たまったストレス解消に、高い買い物や食事、旅行、ゲームや音楽やマンガで現実を紛らわす。朝から夜遅くまで働いて、身体を少しでも休めるために、会社の近くの、たいがいは都心の騒々しくて家賃の高いマンションに住み、外食や出来合いの料理で食費はかさみ、不摂生がたたって体調がいつも優れず、それでも会社に行かないといけないからと高いサプリメントを飲んだりする。そしてますます、お金が必要になって、嫌なことも我慢して働かざるをえないループから抜け出せなくなる。人生をまともに考える時間も気力もない。ただ毎日をこなしていくだけだ。お金を得るために。

そんなこともあるだろう。お金は人間が生きていくために使うモノのはずなのに、お金に使われ続けてしまう。こんな人生は送りたくないと思う。わたしはお金の主人でありたい。

使わなければならないお金をだんだん減らしていくために、モノを大切に使い、生活に必要なものを自分で生み出す力をつけていきたい。そして、やりたいこと、必要だと思うこと、能力が必要とされていることをやっていって、対価をもらえたなら、そのお金を、たとえわずかでも、だれもが安心して笑って暮らすことのできる世界を創る一助として使っていけたらいいなと思う。

20120714

わたしの仕事

「お仕事は?」という質問に「翻訳など」と答えていたら、「わたし=英語の人」という印象が強くなっていた。翻訳も非常にやりがいを感じる仕事のひとつではあるものの、まだいろんなことに挑戦してみたい気持ちも強く、自分の可能性が固定されてしまうような気がする。以前は翻訳が多かったが、今は編集やリサーチや執筆が主な割合を占めて、そのときどきで割合を増やす。今後もどうなっているかわからない。

わたしの活動にどんなものがあるかと考えてみた。英語を学ぶ手伝いをする、英語を日本語に翻訳する、調べ物をする、校正をする、文章を書く、絵を描く、うたを歌う、畑仕事をする、家事をする、雑貨を作る。そのなかでたまたまお金が発生しているものと、そうでないものとがある。 お金ではなくても、生きていくために、生活をよくするために、必要なものを生んでいる仕事もある。大切なだれかを支えるための仕事もある。同じ活動でも、お金が発生することで自由を失うこともある。仕事とは、お金が発生しているかどうかで決まるものではなく、どれも隔たりなくわたしの生活を彩っている。

こうして挙げてみた活動がどのように発生しているかを考えてみた。発生したのが自分の内側からか外側からかという軸を縦に、「やりたい」という希望からか「やらなければ」という必要からかという軸を横にして、さまざまな活動を並べてみるとおもしろい。それぞれの判断項目はくっきりと分かれるものではなく、いつのまにか移行している場合もある。今後、どうなっていきたいかがはっきりとしてくる。お金が発生している仕事は、どちらかと言えば「外側×必要」寄りのものが昔は多かったが、最近では「外側×希望」が多くなっている。

わたしの仕事はまだ定まっていない。今のところは、定めたいともあまり強くは思っていない。これまでの経験や能力を生かしつつ、不自然を抜けて世の中をもっと正しく、楽しくしていくための一助となるような仕事を一個人として幅広く精一杯やっていきたいと思う。

20120610

カゴの外で生きる

一つの企業の中に入って、毎日決まった時間に出社し、一日中机の前に座って、決まった時間を過ぎたら帰るという日々を、送ったことがあった。満員電車を避けるために、朝6時すぎの電車に乗り、新宿南口のサザンテラスにあるスターバックスで2時間ほど勉強してから出社していた。

2カ月ともたなかった。一番大きかったのは、配属先がそれまでの経験と能力が生かせる部署ではなく、もはや変えることもできなかったことだが、活動の範囲が急に狭くなったことに物足りなさを感じていたように記憶している。

大学の頃は、同時進行でいろいろな人たちと関わり、いろいろな活動をしていた。主体的に動くことが許されていた。それが急に、活動範囲が一つの会社の中になり、与えられた仕事をただこなしていくだけになった。自分が縮小していくような恐怖を感じていた。

思い切って外に出ようと思った。会社の同期や上司、人事部の人たちに辞意を伝えると、本音でぶつかってくれた。温かいいい人たちだった。

それでも外に出た。危険から身を守ってくれるカゴを失った感覚だった。常に生活の不安がある。それでも、カゴの持ち主に生活を委ねているよりも、自分の責任でこの世界を渡っていきたいと思った。

現実は、そんなに格好よくいっているわけではなく、不安に負けそうになることもある。応援してくれる人たち、温かく見守ってくれる人たちの支えのおかげで、なんとか心が折れずにまともな生活ができている。

そんなことを考えているといつも浮かんでくるのが、Mr.Childrenの「心ある人の支えのなかで なんとか生きてる今の僕で」〈Everything (It's you)〉という一節。今は支えてもらうばかりだが、その気持ちに応えられるような仕事をして、力をつけ、いずれは、一生懸命な若者にチャンスと希望を与えられるような人間になりたいと思う。