20120827

「モノに使われるな」

「モノに使われるな」
幼い頃、よく両親に言われた言葉である。

食事のときに、背筋を伸ばした状態でお茶碗を口のそばまで持ち上げるのではなく、背中を丸めてお茶碗に口を近づけたりすると、よくこの言葉で叱られた。

お金もモノのひとつだが、「お金に使われる」、言い換えれば、「お金に働かされる」ことはなるべく避けたいと思っている。嫌なことでもやって、自分や家族を犠牲にして、遠くにいるだれかや自然を傷つけて、それでもお金のために働かなければならない、そういう状態は避けたいと願う。

お金のために働く。嫌なことでも我慢して、たまったストレス解消に、高い買い物や食事、旅行、ゲームや音楽やマンガで現実を紛らわす。朝から夜遅くまで働いて、身体を少しでも休めるために、会社の近くの、たいがいは都心の騒々しくて家賃の高いマンションに住み、外食や出来合いの料理で食費はかさみ、不摂生がたたって体調がいつも優れず、それでも会社に行かないといけないからと高いサプリメントを飲んだりする。そしてますます、お金が必要になって、嫌なことも我慢して働かざるをえないループから抜け出せなくなる。人生をまともに考える時間も気力もない。ただ毎日をこなしていくだけだ。お金を得るために。

そんなこともあるだろう。お金は人間が生きていくために使うモノのはずなのに、お金に使われ続けてしまう。こんな人生は送りたくないと思う。わたしはお金の主人でありたい。

使わなければならないお金をだんだん減らしていくために、モノを大切に使い、生活に必要なものを自分で生み出す力をつけていきたい。そして、やりたいこと、必要だと思うこと、能力が必要とされていることをやっていって、対価をもらえたなら、そのお金を、たとえわずかでも、だれもが安心して笑って暮らすことのできる世界を創る一助として使っていけたらいいなと思う。

20120714

わたしの仕事

「お仕事は?」という質問に「翻訳など」と答えていたら、「わたし=英語の人」という印象が強くなっていた。翻訳も非常にやりがいを感じる仕事のひとつではあるものの、まだいろんなことに挑戦してみたい気持ちも強く、自分の可能性が固定されてしまうような気がする。以前は翻訳が多かったが、今は編集やリサーチや執筆が主な割合を占めて、そのときどきで割合を増やす。今後もどうなっているかわからない。

わたしの活動にどんなものがあるかと考えてみた。英語を学ぶ手伝いをする、英語を日本語に翻訳する、調べ物をする、校正をする、文章を書く、絵を描く、うたを歌う、畑仕事をする、家事をする、雑貨を作る。そのなかでたまたまお金が発生しているものと、そうでないものとがある。 お金ではなくても、生きていくために、生活をよくするために、必要なものを生んでいる仕事もある。大切なだれかを支えるための仕事もある。同じ活動でも、お金が発生することで自由を失うこともある。仕事とは、お金が発生しているかどうかで決まるものではなく、どれも隔たりなくわたしの生活を彩っている。

こうして挙げてみた活動がどのように発生しているかを考えてみた。発生したのが自分の内側からか外側からかという軸を縦に、「やりたい」という希望からか「やらなければ」という必要からかという軸を横にして、さまざまな活動を並べてみるとおもしろい。それぞれの判断項目はくっきりと分かれるものではなく、いつのまにか移行している場合もある。今後、どうなっていきたいかがはっきりとしてくる。お金が発生している仕事は、どちらかと言えば「外側×必要」寄りのものが昔は多かったが、最近では「外側×希望」が多くなっている。

わたしの仕事はまだ定まっていない。今のところは、定めたいともあまり強くは思っていない。これまでの経験や能力を生かしつつ、不自然を抜けて世の中をもっと正しく、楽しくしていくための一助となるような仕事を一個人として幅広く精一杯やっていきたいと思う。

20120610

カゴの外で生きる

一つの企業の中に入って、毎日決まった時間に出社し、一日中机の前に座って、決まった時間を過ぎたら帰るという日々を、送ったことがあった。満員電車を避けるために、朝6時すぎの電車に乗り、新宿南口のサザンテラスにあるスターバックスで2時間ほど勉強してから出社していた。

2カ月ともたなかった。一番大きかったのは、配属先がそれまでの経験と能力が生かせる部署ではなく、もはや変えることもできなかったことだが、活動の範囲が急に狭くなったことに物足りなさを感じていたように記憶している。

大学の頃は、同時進行でいろいろな人たちと関わり、いろいろな活動をしていた。主体的に動くことが許されていた。それが急に、活動範囲が一つの会社の中になり、与えられた仕事をただこなしていくだけになった。自分が縮小していくような恐怖を感じていた。

思い切って外に出ようと思った。会社の同期や上司、人事部の人たちに辞意を伝えると、本音でぶつかってくれた。温かいいい人たちだった。

それでも外に出た。危険から身を守ってくれるカゴを失った感覚だった。常に生活の不安がある。それでも、カゴの持ち主に生活を委ねているよりも、自分の責任でこの世界を渡っていきたいと思った。

現実は、そんなに格好よくいっているわけではなく、不安に負けそうになることもある。応援してくれる人たち、温かく見守ってくれる人たちの支えのおかげで、なんとか心が折れずにまともな生活ができている。

そんなことを考えているといつも浮かんでくるのが、Mr.Childrenの「心ある人の支えのなかで なんとか生きてる今の僕で」〈Everything (It's you)〉という一節。今は支えてもらうばかりだが、その気持ちに応えられるような仕事をして、力をつけ、いずれは、一生懸命な若者にチャンスと希望を与えられるような人間になりたいと思う。