たとえば以下のような本が出ていて、「ムヒカ」さんで検索して出てくるほとんどの本には「世界一貧しい」といった形容が入っている。
世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ |
世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉 |
お金はそんなにたくさん持っていないかもしれないけれど、見た目も貧相には見えず、心はとても豊かに見える。こんなふうに紹介されるのが「ムヒカさんは嫌じゃないんだろうか?」と思って、書店で見かけた「世界一貧しい大統領」の本をパラパラとめくってみたら、「私は貧しいのではなく、今あるものに満足しているだけ」というようなことを語られていた。
貧しさも豊かさも、考え方や気持ちの問題が大きい部分もあると思う。社会の仕組みがおかしいということはもちろんあるが。いくらたくさんお金を持っていても、今あるものに感謝できずに、「もっともっとお金がほしい」「まだまだ足りない」「(今すでにありあまるほどあるのに)これを絶対に減らしはしない。もっと増やしてやる」などと思っているような人は、見るからに餓鬼のようで、豊かにはとても見えない。逆に、お金がそんなにたくさんなくても、今あるものに感謝して愉しく生きている人、今持っているものを大切にして世の中を良くすることに使っている人は、覇気と気品があって豊かに見える。
社会の仕組みがこれほどまでに不平等を広がらせ、固定させるようなものになっているなかで、お金をもともとたくさん持っている人がお金を少ししか持てなくなることはあまりないのかもしれないし、もともとそれほどたくさん持っていない人がたくさん持つようになるのも、簡単なことではないのかもしれない。
それでも、「自分は貧しい」と思い続けている限りはお金が足りないという現実からは抜け出しにくく、自分は豊かだと思っているほうがお金をたくさん得やすくなるような気がする。
そんなことを思ったのは、身近な人と話していてのこと。その人は暮らしぶりまで事細かに話してくれるのだが、「今日はスーパーに行ったからとんかつを買ってきて、◯◯(家族)は遅く帰ってきたから卵でとじてカツ丼にしてやった」などと聞くと「わー裕福だなぁ(とっさに頭の中で計算:5人家族としてトンカツ1枚安くて100円としても500円やん)」と思ったりするのだが、いつも「お金がない」「貧乏は嫌だ」と嘆いている。
私はお肉が身体に合っていなかったのを知って5年ほど前から菜食になり、お肉は全く食べたいと思わないので、こんな話を聞いても、うらやましくもないし、自分が惨めにも思わない。玄米ご飯にあと一品あれば満足してしまうので、お茶の出がらし(無農薬)のふりかけだけのときもある。野草を摘んでおかずにしたり、たぶん、この人に言ったら貧乏だと笑われるようなものを食べている。
それでも、たとえばお茶を無農薬で育ててくれた農家の方にお金が払えることもありがたく、地球さんにお金を払わなくても野草がいただけることもありがたく、むしろ、なんて恵まれているんだろうと思うことのほうが多い。こんな食生活をしていると、病気をすることもないので、医療費もずっとゼロ(国保税はかかるが‥)、肌もきれいになったので化粧品も使わなくなった。
以前、新聞かなにかで、若い女性が「服なんか、季節が過ぎた頃の最安値に値引きされたときにしか買えない」と悲しんでいた。私は服は手縫いで作ることを覚えたので、ズボンやチュニックなら、リネンなどの良質な生地を使って作っても、セールのものを買うより安い。「服なんかセールでしか買えない」というか、セールですら買うのをためらうが、気に入ったものがセールで買えたら「得したー!ラッキー!」ってなもんで、嘆き悲しむことはない。(でも、おしゃれがしたい盛りの若い女性が、流行の最先端の服を時期が過ぎてからしか買えなくて悲しいという気持ちは想像できる。だけど、流行もお金を使わせるための作戦だということを知って、それは追わずに、自分が本当に気に入る服を大事に着るようにしたらそんな悲しい気持ちにはならないで済むはず)
少ないお金でも豊かに暮らす方法を少しずつ覚えてきて、できることが増えてきて、身体も健康になり、頭も昔より良くなったような気がする。自然は無料で身体にいいものをふんだんに与えてくれている。以前はそれを知らなかったから、食べ物はスーパーで買ってくるものとしか思っていなかったけど、採集するだけでもおかずや野草茶を作ることができるし、畑で種を蒔いて食べたい野菜を育てることもできるし、実は人間はお金がなくても、豊かに生きられるように自然が助けてくれているということがわかってきた。
自分は実は豊かだったということがわかる前と後では、お金の面でも入り方が変わってきた。わかる前は、起きている間はずっと仕事をしていて、移動中もずっとひざの上にパソコンを開いてガチャガチャやっているような働き方だったけど、それに見合うような収入はもらえていなかった。わかった後は、だんだん、大事にしてくれる人からお仕事をもらうことが増えてきて、まっとうな費用をもらえることのほうが多くなってきた。好きなことや、人のためにきっとこれは役に立つと思えるようなことをして、お礼としてのお金を喜んで払ってくれる人からお金をいただくことが増えてきたように思う。いい循環に入って来られた気がする。
こうした変化はすぐに大きく起こるわけではないけれど、自分が実は豊かだったということに気がついて、毎日感謝して笑って暮らし、これがしたいと思うことに取り組んだり、技を磨いたり、勉強したり、伝えたり、といったことをしていたら、少しずつそういうふうになってきた感じがする。「貧乏だ」「惨めだ」と嘆いてばかりいたら、たぶん、ずっと今よりもお金がないままだったかもしれない(ずっと読んでくださっている方はおわかりかと思うが、今も税金や「奨学金」という名の学生ローンの返済にヒヤヒヤしたりすることはある‥それでも、前よりはだいぶマシになってきた)。たぶん、これからはもっとよくなっていくのではないかと思う。
前述の「お金がない」と嘆いている知人は、ずっとそんなことを言ってばかりいるせいか、全く状況は上向いていない。少しのお金で豊かに生きる知恵をやってみればいいのにと思って、いろいろと言ってみるのだけれど、貧乏くさいと思うらしく、やろうとはしてくれない(他人のことは変えられないので仕方がない)。
不平等な社会のシステムを変えることも大事だとは思う。常に関心をもってアンテナを張り、できることがあれば行動に移していくが、自分1人の力だけではすぐには変えられない問題だ。だが、自分が豊かになるために、「自分は貧しい」とばかり考えるのをやめることはできる。自分が豊かになるために自分の考えを変えることは自分にしかできない。
豊かな面に目を向けて、今すでにあるものに感謝して、自分が大切だと思うことにまじめに取り組んでいれば、「貧しい」とばかり考えているだけより、豊かな暮らしに入る確率は上がるように思う。少ないお金で豊かに暮らす知恵を身につければ、ますます豊かさを理解できるようになるし、人に喜んでもらえることをしてお礼として気持ちよく払ってもらえるまっとうなお金を得られるような技術もついてくる。お金が少ないと、やっぱり不安になるし、人と比べて辛くなるものだけど、今までの経験や見聞きしてきた話をもとに考えると、ほんの少しでも、自分が豊かだと思えることや、自分ができることや、うれしいことなどに意識を向けるようにしていれば、少しずつ変わっていくような気がする。豊かさは考え方を変えることと、豊かに生きる知恵を身に着けていくことから始まるように思う。
そして、自分がお金をたくさん持つようになったなら、豊かさを与えてくれる地球をもっと大切にして、その豊かさを分け合って幸せに生きられる人を増やすために、そのお金を生かしていけば、もっと幸せに生きられる人を増やすことができる。そういうお金持ちにこれからはもっと増えていってもらいたいと思う。