ビレッジバンガード系列のNew Styleというお店に、ベジタリアンだったり、マクロビだったり、オルタナティブ系な暮らしの本と品物の特集コーナーができていました。イオンの中にあるお店で、こんなにコアな本が並んでいるとは、とちょっとびっくり。ひときわびっくりだったのがこの本で、連れて帰ってきました。
医者いらずの食 (veggy Books) |
添加物や遺伝子組み換え、トランス脂肪酸、砂糖が身体に与える悪影響、それに一代交配種(F1)に使われる雄性不稔性などなど、内容がかなり広範囲をカバーしていて、何に気をつけたらいいのかを考えるのには、この本1冊でほとんどカバーできるかも、と思いました。他の本ですでに書かれてある内容もあるために、要約だけ書かれて参照がついているものもあるので、この本だけですべてを理解するというものではなくて、これをとっかかりに自分で調べて常に情報をアップデートしていくのに良さそうだなぁという感じがしました。
さまざまなリスクが潜んでいる現代、知ろうとしなければ、そして、他人任せにしないで知ったことをもとに自分で考えて決めなければ、必ず不健康になる時代になっている、というのは恐ろしいことですが、やっぱり事実で、大切な情報は隠されているし、大切な情報はわかりにくく小難しくされているものだけど、「だってよくわかんないし」「避けられないし」「これを食べとけばとりあえず大丈夫じゃない?」などと、考えること、知ることを放棄していると、自分のことも、大切な人のことも、地球のことも大切にすることができないんだとあらためて思いました。
食べ物を自然に近づけることで、また、自然な食べ物を選んで、自然を汚さない生産者さんを応援して増やすことで、身体をきれいに、土をきれいに、水をきれいに、地球をきれいにしていけるということも本当にそうだなぁ、と思い、固定種にこだわり、草を抜かずに不耕起で土をふかふかにして微生物と土の中の生き物たちを活発にし、殺虫剤や殺菌剤、除草剤、化学肥料などの化学物質で土を汚さず、肥料も未熟なものは施さない自然農法で野菜とお米を育てている相方は、貴い仕事をしているんだなぁと感動しました。ときどき様子を見に行くと、田畑が喜んでいる感じがします。相方は地球が喜ぶことをしていたんだなぁと思いました。
それから、脳は騙されやすいので、脳でなくお腹に聞いて食べることが大切、というのも、「目ぇいやししてでねが? 腹さ聞いでけよ!」(目が食べたがっているだけではないのか?お腹に聞いて食べなさい)と、父によく言われたなーと思い出しました。
著者の方は、特にネットの世界では有名な先生で、「グーミン(愚民)」とか「毒親」とか激しく批判的で侮蔑的な言葉遣いをなさるのですが、書籍などで写真を拝見すると、そんなに悪い方には見えないし、文章にも根底には温かいものを感じていて、これは作戦というか、読んだ人により真剣に考えてもらうために、自分で調べてもらうために、あえて挑発的な表現を使っているのかなぁと思ってました。この本ではネットほどではなかったですが、手厳しい表現もあって、人によっては素直に聞き入れられないかもしれません。でも、すごく「エセ」が嫌いな純粋性の現れであって、真理を追求する気持ちや、人の健康、地球の健康を取り戻したいという熱い想いを感じました。
ベジタリアンと肉食が不毛な争いをしているなんて、この本で初めて知りました。私自身は基本的には玄米菜食ですが、肉食を敵視しているわけではないので、念のため書いておきます。
私が菜食にしている理由は、動物性が身体に合っていなさそうなこと、お魚は放射能汚染が不明なこと、お肉は放射能汚染に加えてホルモン剤・抗生剤などのクスリや遺伝子組み換え飼料などリスクがいろいろとあること、自分で殺せないものは食べる資格がないと思っていることなどの理由からであって(詳細→過去の記事)、お肉を食べる人のことを残酷だとか思うことはありません。ただ、命をいただいているという感覚なしに食べる人のことは嫌な感じがして、それはでも動物でも植物でも一緒です。
他人が何を食べようと、食べたいものを食べていたらいいのではないかと思っています。結局はだれか人間が考えた理論でしかなくて、なにが本当に身体にいいかはわかっていないことが多いんじゃないかと思います。もちろん食を極めた人々の理論や臨床実験の結果わかっていることなどは参考になるので、取り入れたりもしていますが、あくまでも自分の身体に聞きながら、状況に応じて必要な物を取り入れていくことが大切だと思っています。なんらかの食べ物に対して抱いている「身体に悪い」「身体に良い」という思考や暗示自体が、それを食べた時の身体に影響を与えているということもあると思います。
それに、身体に悪いかもしれないものを食べても、それがおいしいと思っている人にとって、それを食べることは幸せなんだろうし、おいしい、幸せ、と思う時間が多いほうが、たとえ寿命が短くても幸せなのかもしれません。まわりには結構、菜食の友だちが多いのですが、菜食だから高尚だとか、肉食は残酷とか言う人がまわりにいなかったので、菜食VS肉食みたいなことが起きているとはびっくりでした。食べることは愛と調和に満ちたピースフルな行為でありたいものです。