山田征さんの著作「ただの主婦にできたこと」という本を読んだ。ただの主婦ながらやってきたという、ただならぬおもしろいこと、すてきなことがたっくさん詰まっていて、ただならぬエネルギーをもらった。
山田征さんのお名前を初めて聞いたのは、昨年初冬、寺田本家の酒仕込会の席でのこと。その前の秋に同じく寺田本家で開かれた稲刈会で知り合いになったYさんから、「土と平和の祭典」で自然エネルギーの推進よりも省エネがもっと大切と話している方がいた、という話を聞き、その方というのが山田征さんだった。
太陽光パネルの記事を書いていて、ふと、そのときのことを思い出した。もしかしたら本も出されているかもしれない、と思って府中図書館で検索してみたら、この本がヒットした。
小学校の給食に使われる食材を素性のわかるものに変えたこと、素性のわかる野菜の共同購入を始めて町の人々がつながる場所になっていたこと、野菜や米を作っている農家の家に援農に行ったり、子どもたちを農業体験に連れて行ったりしたこと、主婦仲間で素性のわかる食材の定食屋「たべもの村」を始めたこと、そうした活動を通じて知り合った全国の人々に会う旅に出たこと、など、どのエピソードにも元気をもらった。どれも何か特別な運動や活動ではなくて、人と人とのつながりのなかで、自然と生まれていったものというのが読んでいて伝わってきて、すてきだと思ったし、自分にも何かできるような気持ちになった。
環境に負担をかけない生活の実践や、原発をいやだと思う気持ち、サンゴ礁を守りたくて石垣島の人たちと白保のサンゴ礁を埋め立てに反対をした話も出てくるが、どれも実生活に基いて発生した自然な気持ちだった。たとえば、泡立つ多摩川を見て、あんななかで泳いでいる魚はたまらないだろうな、合成洗剤は使わないことにしようか、と決めたり、山を歩いて目に入るプラスチックのゴミの山を見て、藁や竹なら自然に還ったのに石油由来のゴミは自然に還らない、家の中から石油由来のものを減らしていってみようか、と決めたり。どれも体験に根ざしたものだとよくわかる。
「たべもの村」が出てきたのには驚いた。ときどきご飯を食べに行く定食屋さんで、少々狭いがあったかくて、ついつい長居したくなる。いつも行く三鷹の八百屋さん「やさい村」の村長(店長)さんともお友達だったことがわかって、またびっくりした。携帯電話のナビを使って「たべもの村」に行こうとして、間違えて「やさい村」で検索してしまい、たまたま着いたのが「やさい村」。この間違いは幸運だった。生命力の強い野菜や果物、天然醸造の味噌から寺田本家の発芽玄米酒まで、ほしいものは何でも揃うお店で、以来、ちょくちょく通っている。
さらに奇遇なことに、この本が出版された頃のお住まいは武蔵境。最寄り駅から中央線に出るのにいつも使う駅だ。西武多摩川線まで登場する。今、自分の行動範囲にある街の25年前を読むのは新鮮だった。人と人とのつながり、自然と人とのつながりが崩壊していこうとする時代なかで、その逆を行く人たち。当時は、経済成長が第一というような考えが主流な中で、本当に大変だっただろうな、と思った。ニュースに心を痛める日も多いけれど、この頃に比べたら、少しは進歩しているのかな、と思ったりもした。身近なところを起点にして、地に足をつけて自分の頭で考えて、行動していくこと、続けること、それが大切なんだよ、と教えてくれる本だった。