「モノに使われるな」
幼い頃、よく両親に言われた言葉である。
食事のときに、背筋を伸ばした状態でお茶碗を口のそばまで持ち上げるのではなく、背中を丸めてお茶碗に口を近づけたりすると、よくこの言葉で叱られた。
お金もモノのひとつだが、「お金に使われる」、言い換えれば、「お金に働かされる」ことはなるべく避けたいと思っている。嫌なことでもやって、自分や家族を犠牲にして、遠くにいるだれかや自然を傷つけて、それでもお金のために働かなければならない、そういう状態は避けたいと願う。
お金のために働く。嫌なことでも我慢して、たまったストレス解消に、高い買い物や食事、旅行、ゲームや音楽やマンガで現実を紛らわす。朝から夜遅くまで働いて、身体を少しでも休めるために、会社の近くの、たいがいは都心の騒々しくて家賃の高いマンションに住み、外食や出来合いの料理で食費はかさみ、不摂生がたたって体調がいつも優れず、それでも会社に行かないといけないからと高いサプリメントを飲んだりする。そしてますます、お金が必要になって、嫌なことも我慢して働かざるをえないループから抜け出せなくなる。人生をまともに考える時間も気力もない。ただ毎日をこなしていくだけだ。お金を得るために。
そんなこともあるだろう。お金は人間が生きていくために使うモノのはずなのに、お金に使われ続けてしまう。こんな人生は送りたくないと思う。わたしはお金の主人でありたい。
使わなければならないお金をだんだん減らしていくために、モノを大切に使い、生活に必要なものを自分で生み出す力をつけていきたい。そして、やりたいこと、必要だと思うこと、能力が必要とされていることをやっていって、対価をもらえたなら、そのお金を、たとえわずかでも、だれもが安心して笑って暮らすことのできる世界を創る一助として使っていけたらいいなと思う。