「お仕事は?」という質問に「翻訳など」と答えていたら、「わたし=英語の人」という印象が強くなっていた。翻訳も非常にやりがいを感じる仕事のひとつではあるものの、まだいろんなことに挑戦してみたい気持ちも強く、自分の可能性が固定されてしまうような気がする。以前は翻訳が多かったが、今は編集やリサーチや執筆が主な割合を占めて、そのときどきで割合を増やす。今後もどうなっているかわからない。
わたしの活動にどんなものがあるかと考えてみた。英語を学ぶ手伝いをする、英語を日本語に翻訳する、調べ物をする、校正をする、文章を書く、絵を描く、うたを歌う、畑仕事をする、家事をする、雑貨を作る。そのなかでたまたまお金が発生しているものと、そうでないものとがある。 お金ではなくても、生きていくために、生活をよくするために、必要なものを生んでいる仕事もある。大切なだれかを支えるための仕事もある。同じ活動でも、お金が発生することで自由を失うこともある。仕事とは、お金が発生しているかどうかで決まるものではなく、どれも隔たりなくわたしの生活を彩っている。
こうして挙げてみた活動がどのように発生しているかを考えてみた。発生したのが自分の内側からか外側からかという軸を縦に、「やりたい」という希望からか「やらなければ」という必要からかという軸を横にして、さまざまな活動を並べてみるとおもしろい。それぞれの判断項目はくっきりと分かれるものではなく、いつのまにか移行している場合もある。今後、どうなっていきたいかがはっきりとしてくる。お金が発生している仕事は、どちらかと言えば「外側×必要」寄りのものが昔は多かったが、最近では「外側×希望」が多くなっている。
わたしの仕事はまだ定まっていない。今のところは、定めたいともあまり強くは思っていない。これまでの経験や能力を生かしつつ、不自然を抜けて世の中をもっと正しく、楽しくしていくための一助となるような仕事を一個人として幅広く精一杯やっていきたいと思う。