20180717

スピリチュアルと向き合うようになった経緯と最近おもうこと

スピリチュアル関係の本を読むようになったのは、5年くらい前だったと思う。なるべく自然な暮らしを心がけるようになったのがそれよりもさらに2、3年くらい前で、そういうお店や飲食店に行くと、スピリチュアル関係の本が置かれていることもあり、ときどき目に入って気になっていた。

当時お世話になっていた美容師さんが『宇宙から来たアミ』シリーズに感銘を受けた話をなさった。あまりにも感銘を受けて数十冊買って、お客さんに貸出を始めたとのことで、私も貸してもらって読んだのが、大人になってから初めて読んだ、目に見えない世界についての本だったように記憶している。

アミ 小さな宇宙人(第1巻)


フィクション仕立てで書かれているが、真実かどうかは読み手が判断できるようにという配慮ではないかと推測した。フィクションとしてふんわり受け止めていてもときどき思い起こす名言(愛のレベルよりも科学のレベルが発達するとその科学は破滅の道へ向かう、といったようなこととか)がたくさんあって、人生に役立つ指針として役立つ本だと思った。

その後しばらくして、手仕事のワークショップで知り合った講師の方とばったり再会し、なぜか『神との対話』シリーズが話題に上った。それまでにも何回か、この本については断続的にいろいろなところで見聞きしていたが、タイトルからしてなんども怪しいし、著者が人生のどん底でやぶれかぶれになって神に暴言をノートに書いたら勝手に手が動き出して神との対話が始まった、みたいな話だったので、そんなことあるかよ、と切り捨てていた。だが、その手仕事の先生があまりにも熱く語るので、ついに観念してその帰りに買って帰った。英語のpresent「現在」は、pre-(予め、前もって)+sent(送られている)=present「プレゼント」で、現在はその前の時点での想念や行動が創っている贈り物である、という話など、ためになる話もたくさんあった。しかし、こういう目に見えない存在とつながって書き取った本とされるものは、著者の思考が混ざっている(無意識にでも)可能性も否定はできないので、慎重に読む必要があると思う。

次に読んだのが『アナスタシア』シリーズだったと思う。

アナスタシア

ロシアの森に暮らす超人的(と私には思える)な女性が著者に人生や世界、宇宙についての真実を語っていくという内容で、なぜか近所の図書館にあった。書かれていることは、身近にないものを除いては、自分で実験して確かめることができる話がほとんどなので、普段、よく参照するのはこの『アナスタシア』シリーズ。ちなみに、ロシアでは、人々が幸せな暮らしを営む地上の楽園を作りながら自然環境を回復させるための、アナスタシアが提案した方法に共感した人たちが政党を立ち上げて、法律を実現させるまでになっている。その方法というのは、すべての人に1haの土地をホームステッドとして与え、そこで採れたものには課税してはならない、というもの。1haのうち3分の2は森として、3分の1に住むところと畑や果樹園をつくる。そうすれば、人は自然と交流しながら生活に必要なものを得ることができ、森林や草地も回復される。

そんな感じでスピリチュアル関連の本を読むようになり、ある程度信じてはいるけれど、そういう世界とは、お金がかからなくて簡単にできて楽しめて役に立つ範囲で付き合おうとしてきた。本来、目に見えない善い存在というのは、呪文やモノに頼らせたりしてお金をふんだくろうとしたりするものではなくて、人間が豊かで幸せに生きられるように助けたいと思っているはず。

目に見えない世界のことも知っておいたほうがいいだろうし、複数読み比べると、騙されにくくもなると思うので、気が向いたときに良さそうなものだけたまに読もうと、のんびり構えていたものの、そう悠長にもしていられなくなってきた。まわりに、中途半端な知識でスピリチュアル関連の話を吹聴し、ビジネスにしている人や、スピリチュアルをビジネスにそういう人に傾倒してしまい、講座や講演などに誘ってきたり、そこまでは行かなくても生き方や考え方や行動を押し付けてきたりする人が増えてきた。私のまわりだけなのだろうか。最近はスピリチュアル関連の本が玉石混交で山のように出ているので、もしかしたら社会全体の傾向なのかもしれない。こういう場合に対処するためにはこういう人たちの言語や考え方を知っておく必要があるように思う。

「チャネリングができるようになった」と言われて「なんだそれ?」と思ったり、「アセンション」がどうので盛り上がっている人たちがいたり、畑仕事の話をしたら「グラウンディングばっちりね!このセラピーいらずめ!」とこづかれたり…。「ヒプノ」「アカシックレコード」「レムリア」「アトランティス」…謎の言葉が頻繁に飛び交う。スピリチュアル用語辞典が必要なほどだ。

それで、気になった言葉について書いていそうな、なるべく原典に近い本を読んでみると、曲解されていることも多いことがわかってきた。原典に近い本はわりと分厚くて文章もわりと固いめ。簡単にかいつまんで解説された本がだんだん二番煎じ、三番煎じとなり、十番煎じくらいのものや、そのブレンドが流行ったりして、それらを読みかじったり、聞きかじったりしている人が多いということだと思う。

最初は怪しみつつも、信頼できる身近な人がよかったと言っているので読んでみる、という感じだったのが、最近は、自分やまわりの人たちがまがいものの情報に振り回されないための用心で読むようになった。学校で習う歴史とは全く異なる歴史観が出てくることもあっておもしろい。見えない存在から聞いたという何年も前に書かれた話が、つい最近科学研究で立証されているものもある。科学で立証したというものも、目に見えやすいから信じやすいけれど、本当かどうか怪しいものも多い。目に見えないものは、確かめることが目に見えるものよりも難しいため、目に見えないものをわかると自称する人の話を盲信してしまうか、イカれているとバカにしてしまうかのどちらかになりやすい。迷信みたいになって、自分や他人の思想と行動の自由の妨げになるようでは問題があると思うが、どちらも可能性を否定せず、両方参考にしながら自分が望むことの実現に役立てていければそれでいいのではないかと思う。