20170312

tweet以上blog未満5本

tweetするには長くて、blogで1本の記事にするには短すぎる、ふと浮かんできた思考の記録になります(今日は5本)。

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言論の自由を暴言の自由と履き違えている人を散見する。影響力の比較的大きい人のなかにも。不必要に他者を傷つける、混乱を生む、不安を起こさせるといった、善とは言えない結果を生むような言論はできるかぎり避けるべきだ。自由には責任を伴う。他者を傷つけてでも言うべきことかどうか、よく考えたほうがいい。憂さ晴らしのためだけであれば、自分にしか見えないところで出すべきだ。それでも、出し方を間違えると自分に返ってくることがある。

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出口が見えないとき、暗い考えから抜け出せないとき、思考停止になっていないかを自問する。現状を分析して、暗い事実しか出てこない。そんなとき、そこで思考を止めずに、「じゃあどうしたらいいのか?」を繰り返す。その事実を変えるためにできることはどんな小さなことでも必ずある。それに集中して積み重ねていく。

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恐怖や不安、怒りを動機にして生まれたプロジェクトでうまくいったものを私は知らない。異様な雰囲気が漂ってしまう。恐怖や不安、怒りがきっかけでも、それをもとに望むことを思い描いて、思い描いたものが広がったらうれしいからというような、なんらかの善い想いに転換する必要があると思う。やっている本人もうれしいからという気持ちのほうが長続きする。恐怖や不安、怒りに駆られた行動は長続きしないし、それどころか、協力が得られない他者に対して攻撃的な感情を持ってしまうことが多い。

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自分が好きで向いていることに集中する。向いていないことを、あー自分もやらなきゃ、などと思ってやると、効果よりも疲弊が大きくなりがち。どうしてもやらなければいけないことはあるけど、そうでなければ、自分の中でこれだったら一番高い効果が出せるかもと思うものにエネルギーを集中する。自分が好きで向いていることに集中して取り組んでいるうちに、度胸も気力も体力もついてきて、向いていることは少しずつ増えていくものだと思う。焦らない。

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自分に起こった不愉快なことを、自分以外の人間が知れるところ(各種SNS、Eメール、ブログなど)にぶちまけている人を見かける。それによって生じる結果を先々まで推測したほうがいいと思う。それを読んだ私は、この人とは距離を置こう、と考えてしまう。たいていの人は、ネガティブなものを噴出している人には近づきたくないものだと思うから、自分が好意を持つ人からも敬遠されてしまう危険がある。それに、どんなトラブルにつながるかもわからない。

そういった不愉快なことを、他人が見られる場所に書くということは、他人がそれを見ることで何らかのメリットがなければいけないと思う。たとえば、同じような目に遭うのを防ぐ、同じような目にあった人が自分だけが変だというわけではなかったと心が晴れる、笑い話として読めて笑える、など。溜め込んでおくのは心の健康上良くないから、出したほうがよいにはよいのだけど、自分だけが見られる紙に書くか、どうしても人が見られるところに出したいなら、トンチとユーモアが必要だと思う。

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一本の記事にするには短く、こういうのはツイッターに書くのもいいかな、と思ったのですが、字数制限があるのと、私の書いたものが読みたいわけではない人にもタイムラインに流れてきて迷惑がかかるかな、と思ったので、ブログに書いてみることにしました。またたまに書くかもしれません。