20161001

「他力」ってなんだ?

先日、『愛国と信仰の構造』(中島岳志さん✕島薗進さんの対談)を読んで、考えたことなどを書きました。
  1. 愛国と信仰の構造を読んで 〈1〉
  2. 愛国と信仰の構造を読んで 〈2〉
  3. 愛国と信仰の構造を読んで 〈3〉
  4. 愛国と信仰の構造を読んで 〈番外編〉
その中で、他力の思想が自分の考えに基づいて努力することを否定することにつながり、自力で行動する人を弾圧することにまで発展していった話を知りました。

他力ってなんだろう?というのは、以前からずっと疑問に思っていたことでした。「他力にお任せする」という思想を、自力の放棄、自分で考えたり、努力したりすることはしないほうがいいと解釈している人の主張もよく見聞きします。それは違うんじゃないかと引っかかるものがありました。

虫刺されをかきむしってできたかさぶたが、いつの間にかきれいに治っていくのを見ていて、他力の力とはこのことなのではないかと思いました。悪人正機というのも、どんな悪人だって、傷ができれば治っていく、とか、そういうことなんじゃないかと。善人でも悪人でも同じように傷も病気も治り、呼吸も飲食も排せつもできる。

自然界の営みも、善人にも悪人にも分け隔てなく、きちんきちんと巡って恵みをもたらしてくれます。目に見えないところで微生物が土を肥やし、嫌われ者のネズミやモグラやゴキブリなどの生き物も土を耕したり、食物連鎖のバランスを保つ役割を果たしたり、ミツバチも受粉作業を人間の代わりにしてくれます。芽が出て、花が咲き、実を結び、命がめぐり、その途中の過程で恵みをいただいている。

どんな悪さをしても、どんな過ちをしても、どんな失敗をしても、身体は生きるために活動を止めることはなく、自然界の営みもきちんきちんとめぐって恵みをもたらしてくれる。これこそが他力の力なのではないかと思いました。

失敗したり、間違いを犯したりしたら、許されないような環境では、試行錯誤やチャレンジをすることは難しく、おもしろいことは生まれにくいのではないかと思います。しかし、他力の力はどんな失敗をしても、間違いをしても、分け隔てなく我々を生かそう生かそうとしてくれている。だから、自力を思う存分に使ってチャレンジをすることができる。失敗が許される環境のほうが、柔軟にチャレンジができて、人生を楽しむことができる。自由意志を用いて、人生を楽しみ、もっと高度な望みを持つようになれば世の中をよりよく進化させることに貢献する、それを力強くバックアップしているのが他力の力なのではないかと思いました。

人事を尽くして天命を待つ、という言葉がありますが、自力を否定して、他力に委ねる人生もありはありかもしれないけど、それだと死んでいるのと同じというか、パラシュートが付いているのに飛ばない、衝撃を吸収するマットが用意されているのにジャンプせずにその上で寝ている、そんな感じがします。自分の自由意志を用いて、望む人生を創っていくほうが他力も働きやすいのではないでしょうか。

) 関連記事