20160825

生きづらさについて。

幼いころから、身近な人たちが「もう生きていなくてもいい」「生きているのが嫌になった」というようなつらい気持ちを漏らすたび、「そうかぁ。でも、生きてたらきっといつかいいこともあるよ」と言うのが私の役目でした。今もそういうことがよくあるのですが、私もときどきそう思ってしまうことがあります。

そう思ってしまう思考パターンはおもに2つ。

生きていくのにはお金が必要だ→お金を稼ぐのには何か仕事をしないといけない→やりたいことを仕事にするとなると難しい→やりたくないことをやらないといけない→嫌なことを我慢してお金にしないといけないときもある(あんまりないんだけど)→それはやりたくない→じゃあ生きてるのやめるか?→でも死ぬのにもお金かかるよなぁ、今は死ぬお金ないからまだ生きていかないといけないか…

――みたいなのが1つ。こっちは10代のころからちょいちょい思うことがありました。

もう1つは:

日本の政治状況について、ここまでひどくなっているとは、知らなかっただけで、知ってしまったからには、本当に生きていくのが嫌になるような状況。

放射能は撒き散らされる、原発は再稼働される、アメリカと世界のどこまででも行って戦争ができる国づくりに邁進している、それによってダーイッシュ(ISILのこと)の標的になっている、憲法が壊されようとしている個人の「個」が消える衝撃たるや・・・)、全体主義が復活しつつあり、雇用はどんどん崩壊され、貧困が拡大して治安は悪化、沖縄の辺野古高江の状況にもすごく心が痛むし(あの状況は自分にも起こりうること)、超富裕層への税金は下がる一方なのに庶民への税金はどんどん上がって暮らしはますます苦しくなる、TPPで医療も農業も国民皆保険制度も脱原発も危うくなっている、アメリカと超富裕層の言いなりになってばかりの考えの足りない政治家ばかりが中枢にいる…。

これほど危機的な状況に多くの人は気がついていないように見えて、日本は変われるのか?とものすごく不安になる。アメリカの状況を見ていても、仮に日本が変われるとして、30年、40年はかかるだろう。それまでに憲法を破壊から守ることはできるのだろうか? 放射能汚染から逃げ切ることができるのか? 社会基盤は無事だろうか?

もしできないのだったら、国外に逃げるか? 日本の文化や食事、風土が好きだからこれからも日本に住み続けたいし、家族や友人に会えなくなるのも悲しいし、彼ら彼女らをこんな不安な國に残していくのは心苦しい。でも、戦争には行きたくないし、私は私の生存権を守りきりたい。地球は広い。日本だけが世界じゃない。コスモポリタンの精神でまともな國に逃げる? 

逃げるにしてもお金がいる、そんなお金今ないよ・・・。うーん、どうするんだ自分。こんな日本、生き続けるには大変すぎる。でも、あと何年も生きていかないといけない。自然に沿った暮らしをして、システムに頼らない暮らしにダウンシフトをしていけば、逃げきれると思ったけど、憲法が変わってしまったら、権力側は何でもアリで、ようやく築いた穏やかで自然とともにあるダウンシフトな暮らしも、崩されるかもしれない。自然も破壊しつくされてしまう。どうやって生きていくんだよ、自分?

――というのがもう1つ。

何も知らなかったら、何も考えずに、のほほんと生きていけたのかもしれないけど、知ることができた今では、知らずにいたら、望まない現実に加担させられ続けるところだったし、自分で自分の首を知らず知らずに締めることになっていただろうから、知ることができたほうが絶対によかったと思う。でも、やっぱり、知ってしまった現実が、受け止めるにはしんどすぎる…。なんでこんな日本になってしまったんだろう?

生きていくのに、お金とか場所とかというearthly needsが必要だから、こういう悩みが生まれるんだけど、そもそも、「なんで生きているんだろう?」と思ったら、「別に生きてなくてもいいんじゃないの?」と考えている自分がいるのが恐ろしいです。

もうひとりの自分が、「いやいや、生きてたらいいことあるから」「授かった命を大事にしないといけないよ」「今のこの世に生きているということは、この世をよくしていく役目を果たしていかないといかんということだよ。それをしていくことは、つらいことも多いけど、重大な使命を果たすことは喜びになるはず。地球をよりよい場所にするために努力していれば、きっといろんな不思議な力も応援してくれるよ。立派な人たちを見てなさい」みたいになだめたり、激励したりして、結局は、やっぱり生きていくか、命を粗末にしたらいかん、と思うのですが。

どうにか持ちこたえているとまではいかないけど、「なんで生きてるんだろう?」というのは最近、頻繁に思うようになった気がします。生きていてうれしいことと言ったら、「ゴハンくらいやないか!食うためだけに生きてるのか?」なんて思う日もある…。

でも、よく考えて見れば、生きていてうれしいことは、たくさんある。ゴハンがおいしいこともそうだし、帰り道、夕焼けや月や星が美しいこと、虫たちの歌声が響き渡るなか眠れること、相方といろいろなことを語り合って腹の底からわかり合えていること、他者と心からの交流ができたとき、素晴らしい音楽に励まされること、いい仕事ができたとき、好きなときに好きな場所へでかけられること、一日を好きに過ごせること、社会のことを知ろうと努力するようになってからたくさんの素晴らしい人物を知ることができたこと、そのストーリーに感動させられるとき、すてきなものができたとき…。よく考えてみると、いっぱいある。

いろんな不安要素が一挙に重なって(そういう時期ってある)、つらいことにばかり目が行きがちになり、生きている理由までわからなくなってしまったのかもしれない、と思いました。笑う門には福来るで、いいことに目を向けたら、幸せな気分でいられて、幸せがまた舞い込んでくる、とよく言うので、なるべくそうしようと思います。

…と、ここで終わってしまったら、自分のことしか考えていないので、もう少しよく考えてみようと思います。ここで止まってしまうと、それを気持ちの持ち方しだいだとか、「引き寄せの法則」によればあなたがその現実を引き寄せているとか(*)、結局、自己責任論で片付けられがちです。

今の日本では、雇用は崩壊しつづけ、とられるものは増えるのにもらえるものは削られ、生きづらさを抱える人が増えている昨今、私よりもずっと悲惨な状況に置かれている人は多いと思います。

生きさせろ!難民化する若者たち (ちくま文庫)』というタイトルの本が出たのが2010年。「ネットカフェ難民」などの言葉がよく聞かれるようになった頃でした。それから6年。日本の状況は悪化しているのではないでしょうか?

今の日本で多くの人が抱える生きづらさについて、目を向けずにいたら、いつまでも変わらず、解決のために何ができるのかを考える人が増えなければ、悪化する一方だと思います。その結果、犯罪は増えるし、戦争に向かうような危険思想が高まる。社会全体のために働きかけをしていかなければ、自分にその結果は返ってきてしまうと思います。

この日本の現実に、世界の現実に、目を向けるのはつらいこともあります。つらすぎて直視できないものもあります。でも、過ちから学び、よりよい世界を創っていくための努力をしていかないと、結局は自分の小さな幸せも守れなくなってしまう。本当はもっと楽しい世界のはずなのに、なにかが違ってしまって、今、こういう多くの人が生きづらさを抱える世界になってしまっている。それを少しでもいい方向に変えていくのが、今の地球に生きている自分の役割だと考えて、努力していくことが、自分の命を生かす生き方だと思いました。

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