20160421

復讐心が起こったとき

【旧暦弥生十五日 穀雨 初候 葭始生(あしはじめてしょうず)】

人間、生きていると、いいことばかりでもありません。陥れられたり、騙されたり、蔑まれたり、自分勝手すぎる人に振り回されたり、ひどい仕打ちにあったり…といったこともあります。

そういうとき、同じ気持ちを思い知らせてやりたい、という気持ちが起こってきます。復讐心というやつです。

目には目を、で、相手と同じような言葉や、同じような行動を、同じような態度を、そのままそっくり返して、どういう気持ちになるか思い知らせてやろうか、という気持ちが起こることもある。でも、そういうときは、すぐに行動を起こさずに、冷静になれるまでできれば待つようにしています。「目には目を」で返報することが、自分とまわりのために、ときには、世界のために、一番いい結果をもたらす行動だろうか?ということを、冷静に、客観的に考えられるようになるまで、なるべく静かに過ごします。

一見損をしているように思えるのです。自分ばかりが痛手を負う。相手はのうのうとしてうまい汁を吸っている。「なんで自分ばっかり?」という疑問が、何度も何度も浮かんできます。

相手にもっとすごい痛手を与えようと思えば与えられるけれど、それをして、果たして、長期的な目で見たときに、自分はいい気分になるだろうか?と考えると、そうでもないのです。一瞬はスカっとするのかもしれないけど、相手を自分の復讐心を満たすためだけに傷つけても、きっと、後々、自分の心が痛むのだと思います。相手に受けた傷よりも、もっと痛いかもしれない。

だいぶ昔のことになりますが、もう何時間も泣き続けるくらい嫌なことがあったとき、復讐心が起こったけど、何も仕返しをしなかったら、すごく悔しくて、少しでも言い返してやればよかったと、何日も落ち込んだことがありました。

でも、その後しばらくして、冷静さを取り戻してから、「オトナだったら、立派な人間だったら、きっとこうするだろう」と自分が思う行動をしたら、気分がよくなって、自分をほめてあげたいと思えました。そうしたら、自然と相手の至らなさも、返報もどうでもよくなりました。相手が至らないことをするのにも、育てられ方や、今まで出会ってきた人たち、経験してきたこと、今の経済状況や健康状況など、さまざまな事情があってのことなのだろうと、思いやりが持てました。そういうときの心持ちというのはとても心地よく、清々しいものでした。

こういう経験をした結果、仕返しをしてもつかの間のスカッと感だけで、罪悪感や自己嫌悪を引きずることになるのだから、ぐっとこらえて「立派な人間だったらきっとこうするだろう」と自分が思う行動をしたほうがいいなぁと思うようになりました。

まだまだ未熟者だから、すぐに怒るし、トンチもユーモアも足りないし、頭の回転も早くはないけれど、立派な人間になるには、泣いて、歯を食いしばってぐっと堪えて、冷静になってから、自分とまわりにとって最善だと思える行動を積み重ねていくことなんだろうと思います。