20160327

おかげさま

【旧暦如月十九日 春分 次候 桜始開(さくらはじめてひらく)】

たまにしか行かない町の初めて歩く通りをてくてく歩いていたら、神社にたどり着きました。凛とした出で立ちと、すっとした空気に吸い寄せられるように階段を上ると、たくさんの岩がありました。

手を合わせていると、ふと、「おかげさま、おかげさま」という言葉が浮かんできました。普段よく使っている言葉ではないので不思議でした。祭られていた巨石群の岩の一つに手を当てると、「一」という漢字が浮かんできました。

スピリチュアル系の人たちがよく使う「ワンネス」の思想のことはよくわからないけど、「ワンネス」を伝えたかったのか? 「ワンネス」の境地は私にはよくわかりません…が、人々が心を一つにするには、「おかげさま」がキーワードだよ、というメッセージだったのかもしれません。

人はつい、おかげさまを忘れがちです。

何か偉業をなし遂げたときに、「自分一人でなし遂げた」「自分が多くの知識を蓄えてきたからだ」「自分の能力が優れているからだ」と思う人は、自分と他者との間に分断を生んでいます。助けてくれた無数の人たちのことをないがしろにしていると、そのうち誰からも助けを得られなくなるかもしれません。そうすると、脅しなどの暴力かお金などで協力を強制せざるを得なくなります。どんどん、心を一つにすることからは、遠ざかっていきます。あちらこちらで、次々に分断が生まれていく結果となります。

例えば、「自然栽培」というムックに、新規就農でよくある失敗談が載っていました。

自然栽培 vol.5

農法の違いで地元の人と対立したり、マルシェを開いている人が地域の行事に協力せずにヨソモノばかり呼んでと陰口を叩かれる、地元の人と仲違いしてしまって水田に水を引いてもらえなくなったなどといったエピソードが載っていました。全容はわからないし、どちらの言い分もあると思いますが、自分が住むようになった土地を、自分がいいと思うやり方とは違っても、地元の人それぞれの考えの下でベストだと考えるもしくは感じているもので、長い間守ってきてくれた人たちに対して、「おかげさま」の精神が足りない態度で、接してしまうからうまくいかないのではないかと思いました。

これは、相手の言いなりになるということではありません。自分の考えと相手の考えは違う、意見の形成の仕方も違えば、速度も違うという前提のもとで、相手よりも自分のほうが優っていると決めつけずに、敬意を忘れずに、自分の考え方を伝え、理解や協力をお願いする姿勢が大切だと思います。よほどの性悪でない限り、敬意と「おかげさま」の精神を忘れずに話せば、わかってくれるものです。

うちも、コワモテの地元のベテラン農家さんに、「そんなやり方じゃダメだ!」「時間のムダ!」「ギブアップじゃー!」とさんざん怒られました。その農家さんは、うちがその農地を借りる前に、近所だからと、仲間たちと複数で農地を管理してくれていたそうです。

私なんかは最初、「土地の権利者は今はもう自分たちなのに」と思ってしまいましたが、「借りてるのはうちらなんだから、どんなやり方をしようと自分の勝手でしょ?」という態度では、絶対に溝が深まる一方だったと思います。

相方は「それまで管理してくれていた人なんだから、自分の庭みたいなもんだよなあ」という「おかげさま」の精神がありました。敬意を忘れずに、粘り強く、自分のやり方とそうする理由を説明し、理論だけでなく黙々と草を刈って実践でも姿を示していたら、お米が実るころには、「兄やん、やるやないけー!!」と認められました。

終いには、「わしはなあ、あんたの楽しみを奪いにきとるんとちゃうで。なんか手伝ってやりたいと思うんやけど、なんもしていらんっちゅうから(=何もしてもらわなくていいと言うから)、手伝いようがないやないかあ!」と言われ、根底には親切心があってのことだったんだなあと思いました。自然栽培のことを知ってもらうことにもなりました。

意見の違う人と対話をするときには特に、この「おかげさま」の精神が大事なのかもしれません。何も感謝できるところが見つからなければ、相手がしてきたことの蓄積があったからこそ、新しい発見があった(たとえば、農薬をガンガン使ってきたから、農薬の危険性がわかるようになってきたなど)ということも感謝できることかもしれません。「反面教師」という言葉にも示される通り、ネガティブなことがあるから、ポジティブなことが何かがわかるのだと思います。そういう意味では、感謝できないものというのはないのかもしれません。

「おかげさま、おかげさま」。心を一つにしてよりよい世界をみんなで創造していくために、この精神を忘れないように心がけたいなぁと思いました。

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