20160317

占いの存在意義とは何か。

【旧暦如月九日 啓蟄 末候 菜虫化蝶(なむしちょうとかす)】

昨日は、占いで落ち込んで学んだことについて書きましたが、その後、占いの存在意義ってなんだろう?と考えました。

占いは科学的な根拠がなく、「統計論」という説もありますが、個々の占い師の経験の域を出ないものだと思います。たとえば星占いでも、各星座ごとにどういう性格なのかとか、統計データはたぶん、どこにもないのでは。おみくじだって、引いてはみるけど、その後どうなったかを意識して観察している人っていないんじゃないのかな。

占いなんか信じずに、壁にぶち当たったり、悩んだりしながらも、自分で感じ、考えて、人生を切り開いていくというスタンスのほうが、正しいのかもしれません。それができる人はそれでいいんだと思います。tom-tomもなるべくそうしようと思っていますが、これでいいのかな?って自信が持てないときや、自分ってなんなんだろう?とわからなくなったときに、ちょっと占いを見てみたくなったりします。占いは長い間、人と共にある。共にあって、人間をそっと後押ししてきてくれたものだからなのかもしれないなぁと思いました。

科学で証明されているものもあるけれど、世界のほとんどはまだ科学では解明されていない。科学で説明のつかない何かはやっぱりある。それを別の思考体系で考えてみようとアプローチしてきたのが、数ある占いなのだと思います。星の動きから宇宙からのメッセージを読み解こうとしたり、音や数字で考えようとしたり、偶然ひいたカードのメッセージを読んでみたり。

こういう、本当かどうかわからないものだからこそ、自らを振り返るきっかけにできたり、自信が持てたり、一歩踏み出す勇氣が湧いてきたりするのかもしれません。論理的に導き出した事実だと受け入れられないことも、本当かどうかわからないけど、なんか本当っぽいものだと素直に受け入れられて、自分の力にできることもあります。

たとえば、「お前は頑固者だ。だって、あのとき譲らなかったじゃないか」などと具体的な事例とともに言われてもショックで素直に受け入れられないかもしれませんが、占星術などで、「太陽がこの星座にある人がうまくいかないときは、もしかすると何かを変えるということに抵抗を感じて、変わるべきときにも同じことを続けている傾向があるかもしれません」などと言われると、「うーん、そうかなぁ? あーそういえばそうかも。あのときもこうだったしなー。ちょっと意識して氣をつけてみよう」などと自分で考えるきっかけになったりします。もちろん、これも言い方が大事ですけどね。占いでも、「◯◯座の人は頑固。一度言い出したら譲らない」なんて決めつけて言ったらアウトだと思います。

また、占いは解釈の幅が広い象徴の言語で語られるので、それを思考の切り口に自分なりに考えを形成していけることもあります。しかし、解釈の幅が広いゆえに、人を傷つけたり、何かを諦めさせたり、悪い暗示をかけたりすることにも使われることがあります。

他者や外の世界に対して占いをする人は、相手の人生や世界をよりよいものにするツールとして、占いを使わないといけないと思います。おもしろ半分でやっていて、配慮のない言葉で人を決めつけて落ち込ませたりするような使い方はよくない。ノストラダムスの大予言みたいに、多くの人々を不安にして、負の思考を助長するようなものは最低だと思います。

宇宙や自然の精霊たちが伝えてくるメッセージは、普通の人間にはなかなか気づきにくいものですが、虫の知らせやインスピレーション、偶然よく見る数字など、さまざまな形で、宇宙や自然の精霊たちは私たちに気づくようにわかるようにメッセージを送ってくれているらしい。占いやカードなどもそうしたものたちとのコミュニケーションツールの一種だと思います。

宇宙や自然の精霊たちは、私たちがより楽しく幸せな人生を歩めるように、そして、この地球を素晴らしい楽園にするうえで自分の役目を果たせるように、全力でサポートしてくれているんだそうです。そう考えると、人を不安にさせたり、恐怖に閉じ込めたりするような占いの使い方は、本来の在り方、存在意義とは違うということだと言えるのではないでしょうか。

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