20151124

スピリチュアルボケ

【旧暦神在月十三日 小雪 虹蔵不見(にじかくれてみえず)】

スピリチュアルボケはあかんです。これを書くのは、自分への戒めとしてでもあります。

自然のすごさを体感していくうちに、スピリチュアルな世界があると感じるようになってきたのですが、ポジティブシンキングがいいとか言われると、怒りを感じずにはいられないような社会の現状に目をそらして、あほに明るい未来予想をしてみたり。気持ちを乱すニュースを見ないようになっていたり。その結果、どんどん危機感がなくなっていく怖さを感じました。

スピリチュアルの本を読んでいると、気分が悪くなる話は避けろ的なことがたくさんでてきます。「引き寄せの法則」のよく売れている解説本にも、そんなアドバイスが載っていました。怒り、悲しみ、いらだち、落胆、心配、非難などのネガティブな感情は、低い波動の感情だから、なるべく持たないようにしなさいというアドバイスです(エイブラハムは本当にそう言ったの?って思うけど)。

「言霊」にしてもそうです。ネガティブな言葉は使うなと。ポジティブな言葉を使いなさいと。

「ポジティブ・シンキング」では、ネガテイブなことを考えずに、なるべく物事のいいところに目を向けなさい。そうしないと、ネガティブなことが現実になってしまいます、と。

ポジティブなことを話すために、ポジティブな未来を描くために、なんでそっちがいいのかって話をするには、現実に起こっているネガティブなことも言わざるを得ない。でも、ネガティブなことを、考えてもだめだ、語ってもダメだ、と言われる。じゃあどうすりゃいいのさって思う。

正直に言うと、スピリチュアルに逃げてたほうが楽なんです。祈りの力が科学で証明されたと言われれば、祈りだけで解決できるような気になり。あなたのインナーボイス、ハイアーセルフ、直感が教えてくれると聞けば、情報を集めて比較しなくてもいいような気になり。デモに行ったり、署名したり、情報を吟味して意見をまとめて発表したりするより、心静かに祈って、明るい未来予想にいい気分になっといたほうが楽なんです。

でもそれじゃ社会は変えられないでしょう。変えようとしてはいけないともスピリチュアル系の本にはよく書かれている。じゃあ、今のままでいいわけ?

急いで無理やりに変えようとするのは、もちろん、個人の意思をないがしろにすることだから、それをいいとは思わないけれど、相手が変わる機会を与えること、こういう考え方もあるよ、その在り方だとこういう問題も起こっているよ、と知らせることは、わるいことではないと思います。変わるか、そのままか、きっかけを与えるだけで、どうするのかはあなた次第。そういうスタンスで、自分の思っていることを言うことは、知っていたらやりたくなかったっていう人もいるわけだから、全然わるいことではないと思います。

自分の意見を話していたら、「あなたのしていることは押し付けだ、押し付けは良くない」って言われたこともあるけど、そういうあなたは、自分の意見を表明することを「押し付け」と定義して表明しないがために、相手に意見を押し付けられて、それに服従して、結局、地球によくないこともしているし、自分の大事な信念を曲げている。それでいいの? そういう批判って、単に、自分が本当はやったほうがいいのに、やらないことを正当化するために、スピリチュアルを利用しているだけだと思います。

キリストもブッダも、ガンジーもマーチン・ルーサー・キングも、世間一般に広がっているよくないことを指摘したし、正しい考え方を提示しました。真実を突きつけられて、自分の過ちを示されて、気分を害した人もたくさんいたでしょうし、それで迫害も受けました。でも、きっと、自分は正しいことをしているという確固とした自信があったから、過ちをおかす人々を憎まず、真実の言葉を語り続けたのだと思います。私はそういう人になりたい。そのためには、スピリチュアルボケは、遠回りだし、地球が破滅に向かっているのを止めるのには手遅れになってしまうんじゃないかという危惧を感じます。