20150612

カンパーニュ

【旧暦卯月廿六日 芒種 腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)】

仏生山にお気に入りのパン屋さんがある。パンの値札には、すべて手書きでパンの名前と説明が書かれている。朝食にパンを食べる時間が、材料を育ててくれた「農家さんに想いを馳せる時間になれば」という気持ちが書かれた食パンの値札を見て、ますますすてきなパン屋さんだと思った。パンももちろんおいしくて、風呂通いで仏生山温泉に行くと、ついつい寄ってしまう。

その値札を書いている人は、字の感じから推測してたぶん、パンを焼いている人だろうと思っている。普段は厨房でパンをこねている。接客をしてくれる人はほかにいるが、客が来店するたび、また退店するたび、顔をあげて挨拶をしてくれる。若く見えるが、立派な心がけの人だなぁと、その姿を見るたび思う。

先月、風呂通いの帰りに寄ったときのこと。謝るということについて、見習いたいなと思う出来事があった。

会計をしてくれた女の人が、「この前はカンパーニュ、切れなくてすみませんでした」と申し訳なさそうに言ったので、一緒に行った相方と二人、きょとんとした。帰り道、「なんで謝ってくれたんだろう?」と考えていて、前回行ったときのことを思い出した。

いつもは要望があればスライスして売っているカンパーニュが、この日はもともとスライスして袋に入っていて、相方に「今日は切れてるのあるけど、買う?」と言って、トレイに載せたのだった。前回行ったときもカンパーニュを買い、混んでいたのでスライスは頼まなかったのだが、そのときのことを思い出して、「本当は切ってほしかったんだなぁ」と察して謝ってくれたようだった。

こちらは全く怒ってもいなかったし、頼んだことをやってくれなかったというわけでもないのに、悪かったな、と思って謝ってくれるなんて、そんな人はなかなかいないと思った。悪いことをしたのがわかっていても、相手が怒っていなければ謝らなくてもいいやと思っている人、相手が悪事に気づいていなければセーフだと思っている人、過失であって悪意がなければ謝る必要はないと思っている人、自分が不利にならないようにと謝らない人、そういう人たちは結構多い。相手が怒っているからととりあえず形式的に謝っていて、自分が何をしたかを反省いない人もいる。

相手に「怒ってる?」と聞くくらいだったら、自分はこういうことをして、あなたにこういう害を与えたかもしれないことを悪かったと思っている、と謝ったほうが、いい関係を続けられるのではないかと思う。相手に嫌な思いをさせても悪意でなく過失であれば謝らなくていいなんていうのは、ひき逃げして「わざとじゃなかったので」と謝らないのと同じではないか。

なにか良くない状況が起こったとき、100%落ち度のない関係者はいないことがほとんどだと思う。自分も悪かったんだしと思って謝ると、もっと落ち度の大きい相手が謝らないで、謝ったほうが悪者にされてしまうこともある。だから、相手のタチをよく観察して、用心しながらにはなるが、このパン屋さんの女の人みたいに、「悪かったな」と思ったら、すぐに心を込めて謝れる真心のある人間でありたいと思った。