20141217

能ある鷹は爪隠す

【旧暦神在月廿六日 月齢 24.6 大雪 鮭魚群(さけのうおむらがる)

能ある鷹は爪隠すということわざがある。日本では、能力をひけらかすことは美徳に反すると考えられているような感じがする。

私自身はどう考えているかと言えば、能力や努力をひけらかすことは、あまり美しいものではないと考えている。自分の能力や、努力して身につけている知識などが役に立てるところで、それらを隠しておくことはもったいのないことなので、必要に応じて提示することはあるが、自分を高く評価してもらうために、それらを見せる機会を狙うようなことは、浅ましい感じがして自分にはできない。(そうしなければ生き残れないと考えている人たちが、ひけらかしをすることを否定するつもりはない。ただ、自分にはできないと感じているだけだ。いいか悪いかという話ではない。)

その結果、まわりからは自分が考えている自分の能力や知識よりも小さく評価されることもある。その結果、ひけらかしのうまい人に仕事が移ることも過去にあった。それは損なことだろうか。

私を評価してくれる人もいる。そういう人たちと仕事をするほうが気持ちがいい。

ひけらかした能力や知識というのは、結局は外付けの商品タグや認証ラベルのようなもの。ひけらかしがうまい人を評価する人というのは、結局は自分の目で見ているのではなく、権威のような何か他のものを拠り所にして人を評価している。いわば色眼鏡をかけた状態だ。そのような人に評価されて仕事をしても結局楽しくはない。私を見ているのではなく、外から与えられた私の商品価値を見ているのだから。人間として付き合うことができない。

短期的な目で見れば損なことは多いかもしれない。しかし、長期的に見れば、私を人間として他人の目ではなく自分の目で見て良しとしてくれる人だけが、まわりに残ってくれる。労働力としての商品価値でしか見ていない人は去っていく。気持ちのいい仕事だけが残ることになる。一時的には苦しいことはあっても、最終的には楽しい仕事、心地のよい人間関係だけが残る。そう考えると、必ずしも損とは言えない気がする。むしろ、幸せなことかもしれない。

負け犬の遠吠えと言われても構わない。色眼鏡をかけた他人から何を言われようと、自分を高めていくことにしか興味はない。