20141023

意外だったこと

【旧暦長月丗日 月齢 28.9 霜降 霜始降(しもはじめてふる】*明日は新月 6:57*

久々にふらりとビジネス書コーナーに立ち寄り、何気なく手にとったのが、初めて部下を持った人向けの本だった。ビジネス上のドライなやり方が書かれているのかと思いきや、人間性が重視されていて意外だった。

私にとってそれはあまりに意外で、ほかの類書をいくつか手にとってみたが、どれも同じように、スキルよりも人間性が大切、と強調されていた。

こうした本のカテゴリーは「リーダーシップ」や「マネジメント」とされていたが、リーダーやマネージャー(もしくは経営者)に必要なのはスキルよりも想いで、強い想いに共感した人たちが集まって支えてくれ、自然とリーダーになるのであって、なんでもかんでもリーダーが一番できないといけないわけではない。弱音を吐いて、助けてもらえばいい、と書いているものもあり、嘘をつかれるより、弱音を吐いてもらったほうがサポートできるし、信頼できるし、いいチームになりそうだよなぁと思った。

それを読んで、高校のときの担任の先生を思い出した。彼は、ほかに夢があったが叶えるためにやらないといけないことに耐えられなくて教師になったと堂々と言ってしまう人だった。

先生になりたくてなったわけでなかったので、担当教科の授業も教え方はさっぱりで、みんな、これじゃダメだと、自分で調べ物をして勉強し、センター試験の平均点も他の同じカテゴリーの教科に比べて高かったように記憶している。

そんな先生なので、進路指導も放任で、彼のクラスの生徒は、自分で進路や受験方法を考えざるを得なかったが、そのおかげで第一志望への進学率が高かった。卒業して3年後に教育実習で帰ったときにも、「あんたたちのクラスは自立していたなぁ」と他のクラスの先生に言わるほど、印象的なクラスだった。今思えば、彼は立派なリーダーだったのかもしれない。

さらに脱線すると、managerが日本語だと「管理職」「管理者」と訳されることが多いのも誤解の素なのかもしれないと思った。manageする人、つまりmanagerは、部活のマネージャーみたいに、プレーヤーがイキイキと本領発揮できるように並走しながらサポートする人のことではないのだろうか。上から命令して、チームメイトのやることや時間を管理して、きゅうきゅうにするようなmanager=管理者・管理職では、プレーヤーは萎縮していいパフォーマンスができない。残念な訳語から、残念な固定観念が広がっていないといいのだが。

本の話に戻る。ほかに書かれていた具体的なことで印象に残っているのは、ついてきてくれる人たちの自主性を大切にするリーダー像だ。フィードバックは、相手がどう思うかに想像を巡らせてから、自由にやらせてみて細かいことまで口出ししない、部下から失敗する権利を奪ってはならない(失敗から学んでさらに大きくなる)、部下の失敗の責任は上司がとる(だから給料が高いのだから)などと書かれていて、このへんは確かに、器が大きくないと難しいよなぁと思った。

自分のコピーを作ろうとするな、というのも、意外だった。デキるビジネスパーソンが自分のコピーをつくるハウツーみたいなことを書いているのだろうという予想していたから。確かにそんなのはうぬぼれでしかないし、完璧なコピーなんてできっこない。それに、多種多様なやり方やキャラがあってこそ、人が集まってやる意味がある。コピー人間の集まりだったら、生み出せる力は足し算以下にしかならないが、それぞれ自分らしく仕事をする人たちが集まっていたら、生み出せる力は掛け算になるのだろう。マネジメントの大家ドラッカーも「20世紀を生きて」で、「異質性の中から活力が生まれるということを忘れてはならない」と書いている。

著者は男性ばかりだったが、意外に謙虚な方が多かった。かといって卑下するわけでもなく、自分を笑い飛ばせていてすかっとするという感じだ。仙人も言っていたが、男のプライドというのはとても厄介なものだ。自分を笑い飛ばせるかどうか、それが大成する第一歩なのかもしれない。

ビジネスというと、どちらかと言えば、倫理よりもお金が優先され、情よりも理屈が重んじられ、ゆとりよりも効率が追求されるイメージだったが、人間性が大切と力説されているのを見て、世の中、良くなってきているなぁとほっとした。そんな本が平積みになるほど売れているのも希望に思えた。ビジネスパーソンである以前に、パーソン―人間であるということに気付き始めた人が増えているのかもしれない。