20140809

幸せも不幸せも

【旧暦文月十四日 月齢 13.2 立秋 涼風至(すずかぜいたる)】

腹が立ったり、不愉快に思ったりしたことを話したくて、私に頻繁に電話をかけてくる人がいる。

その人は、定期的にガス抜きをしないと、ストレスで身体の具合が悪くなったり、ちょっと暴走したりするので、聞ける限りは聞いている。私は基本的には聞き役に徹する。自分で気持ちを整理してくれたり、解決策を見つけてくれたりするととてもうれしい。

先日も、家族の未熟な行いに腹を立てていて、自暴自棄になったり、縁を切りかねないほど怒ったりしていたが、私に話すことで気持ちが整理されたのか、電話で話した晩には家族といつもどおりに話ができたそうで、わるさをしたほうも素直に謝り、一件落着したらしい。

その人の話を聞いていると、幸せも不幸せも、結局は自分しだいだなぁとつくづく思う。もちろん、戦争や自然災害など、自分次第ではどうにもできないような災難もあるのはわかっているが。

テレビや広告、社会通念に振り回されて生じている問題もある。夏だからビールが飲みたいとか、流行りだから着てみたいとか、他人(ひと)と同じことがしたい欲求にはまりこんで、それが叶えられないというだけで、不幸だと決めつけてしまっている。ビールなんか飲めなくたって、健康を保てるくらいご飯が食べられたら十分幸せだし、どうしても飲みたかったら特別なときに本物のクラフトビールをちょっと飲めたら、たまのご褒美でおいしさもひとしおだし、身体にもよく長生きして、ビールが長く楽しめる。短期間の満足のために流行りの服なんか買わなくたって、自分が本当に好きな服だけを永く大事に着れば流行に左右されることなく常に幸せな気分でいられる。

いっそのこと、テレビをしまってしまえばいいのにと思うこともある。幼い子がテレビに浮かれて食事をきちんと食べないとか、チャンネル争いで毎晩ケンカだとか、夜遅くまでテレビを見て朝起きないとか。テレビがなくなれば全部解決することだが、それをしないと決めているのは自分だ。

あらかじめルールを決めておくとか、結構簡単に解決できる話でも、現状を変えようとしない。解決策を提示しても、いろいろと言い訳をしてそれができないと言い張る。もしかしたら、大変な思いをしても耐えている自分が好きなのかもしれないと思うこともある。そうやってどうにか自尊心を保っているのかもしれないが、解決策を試すと決めたほうが、自分には困難を解決する力があると認識できる経験が増えて本当の自信につながるし、幸せな時間は増やせると思う。

そして、因果応報というか、その人がだれかにされていて嫌だと感じていることや悩みは、その人が過去に、または、別の人に対して現在、同じようなことをしていることが多い。

だが、それも感じ方しだいだということもある。その人がされて嫌だと言っているのと全く同じ図式が、私とその人の間に成り立つこともあるが、私はそのうちのいくつかについては嫌だと思ったことがない。

その人が私の今の暮らしをするとしたら、とんでもなく不幸だと怒って私に電話をかけてくるに違いない。自慢ではないが、お風呂には毎日入れないし、冷蔵庫も洗濯機もない。でも私は不幸だとはちっとも思っていなくて、数日おきに温泉に行くのが小旅行気分で楽しみだし、冷蔵庫や洗濯機がない暮らしでの創意工夫に頭や身体の鈍っていた部分が刺激されるのが心地よい。窓が開くようになってから、アリがぞろぞろ入ってくるようになってちょっと困っているが、「食べこぼしを掃除してくれてると思ったら、まぁいいか」と相方と笑いあっている。

ある現実があって、それをどう捉えるのか、自分で決められるのだとしたら、私なら幸せに思えるほうを選択する。その現実をよくするのは自分しだいだとしたら、少しくらいは大変でも、やってみたいと思う。電話をくれるその人に、そのことを少しずつ伝えてられたらいいなぁと思っている。