20140716

器用貧乏

「tom-tomは器用貧乏だからなぁ」

母がときどき、不憫そうに言う。

器用貧乏を辞書で引くとこう書かれている。
なまじ器用であるために、あちこちに手を出し、どれも中途半端となって大成しないこと。また、器用なために他人から便利がられてこき使われ、自分ではいっこうに大成しないこと。(三省堂新明解四字熟語辞典)
器用で何でもできるが、何か一つ秀でたものがなくて、
お金をたくさん稼ぐことができないというもとの意味と、
貧乏だから何でも自分でしないといけなくて、
そうしているうちに器用になるという
誤用が定着した意味の二つで使われるようだ。

母がどちらの意味で言っているのかはわからないが、
私はこう思っている。
器用だからこそ、少ないお金でも裕福な暮らしができる。

裁縫、編み物、料理、園芸、絵など、
なんでも自分でできるのは、
幼いころから両親に厳しく育てられ、
なんでもお手伝いさせてもらったおかげだ。
料理も農業も、観察眼と応用力を鍛えてくれた。

絵も、年賀状やバースデーカードなどを
自分で描く必要があったから、
色鉛筆で小さいころからたくさん描いた。
描いているうちに楽しくなって、
そのうちカレンダーなんかも描いていたようで、
母の誕生日にプレゼントしたカレンダーを
帰省したときに出してきてくれたことがあった。

確かに今のところ、有り余るほどのお金を得た経験はないが、
それでも、食べるもの、着るもの、使うもの、読むもの、
必要なものに不自由したことはなく、
高くて手が出ないものでも、工夫して自分で作ったり、
知恵を働かせて何かを代用したり、
無料あるいは安く手に入れる方法を考えたりして、
困ることなく暮らせてきた。

お金の多寡で測れば、確かに、貧乏かもしれない。
でも必要なものを手に入れる能力で測れば、
私はとても裕福だと思う。

お金はあればあるに越したことはない。
それでも、ないからと言って満たされていないとは限らない。
だれかが一生懸命作ってくれたものを
一生懸命稼いだお金で買ううれしさも好きだが、
自分で工夫をする楽しさは、
買ってくるよりもずっと長く味わえる。

母にそう言われるとき、
私はいつもこう答えることにしている。

「器用に育ててくれたおかげで、毎日楽しいよ」